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雲雀丘学園教員 大見利之 を創ったことば』 »

師匠の教え その壱

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私は小学校5年生の春から剣道を始めました。中学校までは真剣に取り組み、高校は授業で剣道は選択しましたが、クラブ活動は弓道部に入りました。そんなことから剣道にやり残し感がありましたので、大学では再び剣道部に入部しました。私の剣道修業はここから本格的に始まったと言ってもいいでしょう。幸いにも、大学剣道部には一生の師となる池田勇治範士八段が師範としておられました。師範は学生との稽古後、必ず第二道場と称して安居酒屋で稽古の反省、剣道に関する逸話・教え等を数多く語ってくれました。

その中の一つに「啐啄同時の機(そったくどうじのき)」という言葉がありました。禅語だそうです。ひな鳥が卵から孵化するために内側から卵の殻を叩いて音をたてますがこれを「啐」といいます。親鳥はその音を聞いてすかさず、くちばしで卵を外から啄み(ついばみ)、孵化を助けます。これを「啄」といいます。これらが同時に行われて初めて、ひなは無事に生まれ出る訳です。ひな鳥が「啐」を行っているのに親鳥が気付かなければ、うまく孵化できません。同様に親鳥の「啄」が早すぎてもひな鳥は孵化できず死んでしまいます。

弟子が真剣に道を求め学んでいる時、それを善導するわずかなヒント、気づきを師匠が与えることで弟子は壁を乗り越え大きく成長していきます。上位のものは、それだけ下位のものをしっかりと見つめ、機を逃さない気づかいや細心さを持つ必要があります。このことを師匠は幾度となくおっしゃいました。

大学一年時、師匠に稽古をお願いしている時にこんなことがありました。私が夢中で師匠の竹刀を払い、その返す刀で師匠の小手を打ちました。これが「パクッ」という音と共に見事に決まりました。その時、師匠は打たれた右小手を大げさにご自分の目線位にまで上げられ、面越しに大声で「参った、いい業だ」とおっしゃいました。師匠は全日本剣道選手権の審判長をされるような日本でも有数の大先生です。そんな大先生ですから本当は私などに打たれる訳はないのです。一所懸命に稽古に掛かる私を指導しながら、今こそ、と思われ「啐啄同時の機」を実行され、私を善導されたのです。私はといえば、そんな大先生に大いにほめていただいたわけですから、夢心地です。ひょっとしたら、高校時代に剣道部ではなかった自分でもそこそこはやれるかもしれない、今でいう自己肯定感、モチベーションが大きくアップし、一層、稽古の虫になったことを覚えています。この時のご指導、この「啐啄同時」の経験が私の剣道修業のまさにアイデンティティーになっています。

20180416-2.jpg20180416-1.jpg私は毎朝、専用通路脇で児童生徒に大きな声で挨拶をしています。子ども達が大きな声で挨拶ができたら、あるいは声は小さくても眼差しをしっかり私に向け挨拶出来たら、今だと思い、大いにほめています。「おお、元気だね!大きな声で挨拶出来て!」などと。挨拶にも啐啄同時の機はあるのです。子ども達の成長をサポートできる細心さをもって気を引き締めて、挨拶を率先したいと思います。
(小学校副校長 成地 勉)