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雲雀丘学園教員 大見利之 を創ったことば』
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温かい言葉

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 『就職難の今,家業がある者は家業を継ぎなさい。女子は早くお嫁に行きなさい。』

 学生時代の指導教官はお酒が入ると,よくこの言葉を口にしました。もちろん,この言葉は当時も認められるものではありません。今の言葉を使うと「アカハラ」になるのでしょうか。でも研究室の学生は,誰一人そんな風に思ってはいませんでした。

 大学院を修了後,教員採用試験に合格した私は,愛媛県に正式な教員として採用されました。ただ,赴任地が瀬戸内海の島の高等学校,野球部の顧問で休日は盆と正月だけという生活など,初めて体験することがたくさんあり,愛媛の教育や環境になじめずにいました。また,科学館学芸員を目指していたこともあきらめきれず,再就職の当てもないまま辞表を提出。先生にそのことを報告すると,「研究室に出入り禁止」となってしまいました。それにもかかわらず,帰阪支度をしている私に,研究室の後輩を介して「天文台の管理ができる小学校の先生を募集している私学がある」と教えていただき,現在に至っています。

 昭和の終わりから平成の初め,教員採用数は極端に少ない時代でした。教師以外の道を考えようにも,教育大学からはなかなか採用に至らないことも多かったと思います。先生はその現状を,私たちと同じ年代の子どもを持つ親として,そして,教育大学の教官として就職難を打開できない自分の無力さを感じておられました。私たち研究室の学生はみなそのことを理解していて,先生の気持ちに答えようとこの言葉を糧にして,就職活動や進学のための研究に臨んでいました。

20180427-1.jpg 雲雀丘の教員になってからも,トルコであった皆既日食の観測にご一緒させていただいたり,西私小連の理科部会や本校の研修で,天王寺キャンパス(写真)の研究室や天文台を使わせていただいたりと,いろいろご指導いただきました。十数年前に大学を退官されましたが,教師としての礎を築いていただいたことに感謝の念は尽きません。

 冒頭の言葉は,今は笑い話の一つとして語られています。しかし私には,先生の温かい愛情を感じる大切な言葉となっています。
(小学校教務主任 藤川雅康)