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「心田を耕す」

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 大学で学んだ教育学の教授は、「心田を耕すことが教育の大切な営みであり、心田を荒らしてはならない。」と、おっしゃっていました。
 教員になって聞いた直木賞作家の水上勉さんの講演会で、再びこの言葉に出会いました。
 「私の生家は墓地の近くにあり、父親は葬具一式という看板を出し、死人が出るたびに墓地に穴を掘り、棺桶を葬る仕事をしていた。私が5歳になった頃、父親が私の両足をつかんで墓穴につり下げた。周りには椿の根っこが広がっていたが、目が慣れてくると、一つのしゃれこうべが目にとまった。そのとき父は、『いいか勉、明日ここに入んなさる人も、町長さんも県知事さんもみんな見えているようなしゃれこうべを一つ残して土に帰んなさるんや。人間は皆平等だ』と、言った。この言葉が私の心田を耕したのだ。私というこよりの根に作られたこの心田を通して、私の経験のすべてが吸い上げられ、上の方で一つひとつの実になった。それが私の作品なのだ。」
 あまり多くを読んだわけではありませんが、水上さんの作品『雁の寺』、『越前竹人形』等を貫くものの一つは人間の平等だといえるでしょう。5歳の頃に「心田」を耕されたことが、その人の一生の作品の個性に関わったといえるのかもしれません。
 「心田を耕す」の語源を調べてみると、お釈迦様が托鉢をして回っているときに、農耕者から、「私は田を耕し、種をまいて食を得ている。あなたも田を耕し、種をまいて食を得てはどうか。」と問われ、「私が耕しているのは、人々の心の荒れ地です。」と、答えたことに端を発しているようです。学園講堂横に銅像が建っている二宮尊徳も、「心田開発」や「心田を耕す」のことばをつかったそうです。
 田んぼの手入れを怠れば、田んぼはやがて雑草が生い茂る野生地に戻ってしまいます。しかし人間が手入れをすれば耕作地となり、私たちが生きていくための食料を育んでくれるのです。これを人の心に置き換えるならば、周りの人間が手入れを怠れば人間も野生に戻ってしまいます。心田を荒らせば、理性が失われ動物の本能だけになるからです。しかし、心は正しく手入れをされれば、人間らしい力が育まれていくのです。自然の恵みに感謝し、思いやりを持って共に助け合いながら生きるための力がついていくのです。「心田を耕す」ことは、人間を育てることそのものといえるのです。
 雲雀丘学園では、創立の精神「親孝行」で、子どもたちの心田を耕し続けます。

(小学校校長 石田 成光)