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Hibari 探究プロジェクト - 雲雀丘学園中学校・高等学校
SDGs(エス・ディー・ジーズ)

探究ゼミ・プロジェクト〔 学内外と連携し、自由に学ぶ 〕

探究ゼミ

探究ゼミ「文学模擬裁判」進捗

7月から始まった探究ゼミ「文学模擬裁判」。

このゼミは、芥川龍之介の作品『羅生門』について、本文の内容をもとに、当時の時代背景、登場人物の心情、実際の法律など様々なことを参考にしながら、「老婆の着物を盗んだ下人の罪状」を考えるものです。

人知れずゼミを進めてきましたが、ゼミ生の理解促進のためもあり、ここまでどのように話を進めているか、を記しておきます。

『羅生門』の深い読解のためには、当時の時代背景と、下人の人物像を正確に追うことが不可欠です。

時代のモデルとして設定されているのは平安時代ですが、どれくらい大変な時代だったか分かりますか?

本文には「仏像や仏具を打ち砕いて、その丹が付いたり、金銀の箔が付いたりした木を、道端に積み重ねて、薪の料に売っていた」という表現があります。現在の日本では想像もつかないでしょうが、時は平安時代。何につけても科学的な説明はなく、災害が起これば「神の怒り」と言われ、病気になれば医者ではなく僧侶が来る時代です。つまり、仏教に対するおそれや尊敬は、今の比ではなかったはずなのです。そんな時に「仏像や仏具を打ち砕く」というのは、人間の常識や道徳が崩壊するほど、想像以上に荒れた時代だったことが分かります。

そして、下人。

教科書には、「極限状態に置かれた人間の心理」と語られることが多い『羅生門』ですが、本当にそうでしょうか?

下人は、「暇を出されてから(=仕事をくびになってから)4,5日」経っています。この4,5日の間どうしていたかはわかりませんが、満足に食事も摂れていないでしょう。皆さんが同じ状態ならどうしますか?必死で職を探し、食べ物を探しませんか?

しかし、下人は、「羅生門の下で雨やみを待って」います。それも、「ぼんやり、雨の降るのを眺めて」いるのです。その後には、門の上の灯りを気にして門に登ったりしているのです。ここから読み取れるのは、下人の「危機感の無さ」と、「理性よりも本能優先」の姿勢。本文で使われる「感傷的」という意味のフランス語「sentimentalisme」も、「感情で動くタイプの人間」であることを暗示している可能性があるのです。

本当に下人が「極限状態」だったと解釈する場合と、このように「あまり危機感がなく感情優先」で動いているだけだったと解釈する場合では、当然裁判にあたっての前提が変わってきます。

また、下人は、くびになって食べ物もなく、盗みを働くしかないような状態にいるにも関わらず、ずっと刀を持っています。これも物語の上で重要な点です。文章の終盤を見ると、下人は刀をよく使いこなしているように見えませんか?少なくとも、飾りで刀を持っていたわけではないのではないでしょうか。では当然、刀を抜く、というのがどういうことか分かっていたはずです。普段刀を使わない人が抜いたのと、日常的に使い慣れている人が抜いたのとでは、これも大きく前提が変わります。

このような下人像を踏まえて、次の土曜日のゼミでは、老婆像を考えて、下人と老婆が相対した時の両者の心情を考えます。それが、弁護人/裁判官/検察官それぞれのスタンスの違いになるはずです。

12/27(土)の午前中にゼミを追加します。学校が終わったこの時期に、一度ゆっくり、グループ毎に意見を練り上げてほしいと思っています。

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