「不動智神妙録」に学ぶ
沢庵禅師が柳生宗矩に与えた書簡を集めた「不動智神妙録」という書物があります。「剣禅一味」を説き、禅で武道の極意を説いた書物です。その中で、「無明住地煩悩」を説いています。「無明とは明になしと申す文字にて候。迷ひを申し候。住地とは止まる位と申す文字にて候。物毎に心の止まる所を住地と申し候」。つまり、惜しい、欲しい、勝ちたいに執着し、心の止まることを迷いと言っています。もう一つは、「不動智」です。「不動とは、うごかずといふ文字にて候。智は智慧の智にて候。・・・向ふへも左へも右へも、十方八方へ心は動き度きやうに動きながら、卒度も止まらぬ心を不動智と申し候」。つまり、こころを四方八方に自由に動かしながら、しかも一つの物、一つの事には決してとらわれない事が「不動智」で、これが悟りだと説いています。
試合の時に何とか勝ちたい、良い成績を上げたいと思い、対戦する相手の試合を観察します。面が得意なようだから、「打ってきたらこう対応しよう」などと考えて試合に臨むと、全然違う展開になって良い結果がでないということがよくあります。相手が打って来るのを見るから打たれるのです。つまり執着です。「強そうだけど、自分の持っているものを出し切ろう」と開き直って対戦する時の方が良い結果がでたりします。これが「不動智」かもしれません。
これは剣道の試合だけに限ったことではありません。入学試験等においても言えることです。合格したい、落ちたらどうしようということに執着して、心が止まっていてはいけません。やるべきことを「淡々と」やる、前進あるのみだということを教えてくれています。