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2015年08月27日

それはそれ、これはこれ

 連日、夏休み貸出分の本が次々返却されてきます。
朝の返却ボックスや昼休みのカウンターは返却本で山盛り。読み切れず、もう一度かりなおす人もいますが、全部読み終わったという人には、せっかく繋がった気持ちがほどけてしまわない様、同じ作家で別のシリーズを紹介したり、おもしろかったという分野で別の作家を紹介したりして、つなぎとめます。

 普段よく利用する人も、文化祭モードになり、しばらく姿を見かけなくなる時でもあるのですが、それでも、放課後こんな図書室らしい場面に出くわすとうれしいです。
 文化祭準備に追われても、それはそれ、これはこれ。

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     すぐそばでカメラを向けたのですが、3人共まったく気づかず・・・。     

2015年08月25日

2学期スタート

 2学期がスタートしました。文化祭の準備も本格的に始まります。
資料が必要で本をかりに来る人たちもいると思いますが、学生証を忘れずに。

 夏休みの長期貸出の返却期限は8/27です。これも忘れずに!
貸出冊数は通常の4冊に戻っています。手元に4冊以上持っていると新しく貸出が出来ませんよ!

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             夏休み中もたくさん本が届きました。               

2015年08月20日

こんな本を読んだ ⑤

 夏休みも残りほんのわずかになりました。みなさん、いろんな意味でソワソワし始めているのではないでしょうか?
 休み中に本はたくさん読みましたか?

 高3・地理選択を受け持つ教頭・中井先生。夏休みにこんな本を読んだ。
 そして、世界旅行に出かけた。(ただし妄想)

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  自然のしくみがわかる地理学入門/水野一晴 (ペレ出版)
 副題は「なぜ」がわかる地理学講義。
わたしたちは、地理の授業ではなぜそうなるのかを意識して説明しています。
受験生や生徒たちは、どれだけ覚えればよいですか?と質問をします。
「覚えるが先でなく、『なぜ』を理解するのが先ですよ」と伝えます。

 著者の水野先生は京都大学大学院教授ですが、経歴を見ますといろいろな大学での非常勤講師を務められ、大学非常勤講師時代に河合塾の売れっ子講師として活躍され、地理科初のサテライン授業の講師をされていたようです。
(この本は高校2年生の自然地理学の内容、センター地理がしっかりつまっております)
 そのせいなのか、われわれが授業でなぜこうなるのかと話したいところと実際の写真(著者撮影)をしっかりとこの本の中に記述されていて、かつ高校生にもわかりやすく書かれています。
 また、水野先生は世界50ヵ国を研究調査で訪れ、観光ではわからないその体験も書き綴られていて、説得力があります。
 まえがきに「本書を読んだ後に、屋外に、さらには世界に出て、みなさんの目で実際に見て、感動していただければ本望である」とあります。
 無性に海外旅行に行きたくなるとともに、地図帳片手に妄想の世界旅行に出ることのできる本です。

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 この本を入り口にして、少しでも地理に興味をもち、勉強してくれる人が増えたらいいなあ・・・、と、つぶやいておられましたよ。

2015年08月11日

終戦の日を前に

 広島県出身で、映画監督で作家の西川美和さんは、どうして私達は先の戦争について、嫌な話や、悲しい話ばかりを聞いて育たねばならないのだろうとずっと思っていました。知っとかなきゃいけないのはわかっている。でも、耳にするのはつらい話ばかり。もう「頭が割れるほど嫌だった」そうです。
 そんな西川さんが数年前、終戦間際に通信兵として召集された親戚の伯父さんの体験手記を目にします。それをもとにして書かれた作品。

その日東京駅五時二十五分発/西川美和 (新潮社)

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 これは戦争が終わった日の物語。
 通信兵として広島から東京に赴任した「ぼく」が配置されたのは、西洋建築が立ち、花の咲き乱れる庭やのどかな牧場の残る東京郊外。そこでモールス信号の習練を重ねながら、「ほんまにこれ戦争じゃろうか」と思うのです。

 厳しい軍隊生活をほとんど強いられず、戦争の核心から疎外されたように過ごす日々。通信訓練中に偶然キャッチした米国のラジオ放送で耳にしたポツダム宣言。そして広島と長崎への原爆投下。数日後、告げられた隊の解散。それは戦争が終わった、という事だった。
 終戦当日の東京駅、「ぼく」は始発で故郷・広島に向かう。車窓から見える玉音放送に首を垂れる人々。「ぼく」は、この国が負けたことなんて、とっくに知っていた。

 そして、広島の街に降りたった時、その変わり果てた街を受け入れられず、街も又、自分を拒絶しているように思えた。そんな失意の「ぼく」が出会った、誇り高き火事場泥棒。彼女たちをみて、立ち止まらずに生きて歩いていく力がゆっくりと湧いてくる。

 これは、戦場の過酷さからもほど遠く、故郷でおきた悲劇からも切り離され、宙ぶらりんで、ただ時代に流されて生きるばかりだった19歳の青年の物語。

2015年08月06日

広島 原爆の日 70年

 今日は広島に原爆が落とされた日です。
今朝、広島市平和記念公園では平和式典が行われました。被爆70年を迎えた今年、被爆者の平均年齢は80歳を超えたそうです。犠牲となった14万人を超える人々の中には、もちろん今の皆さんと同世代の人もたくさん含まれていました。

いしぶみ~広島二中一年生全滅の記録/広島テレビ放送編(ポプラ社)

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 その朝、広島二中に通う一年生321名は、空襲時の被害にそなえて家屋を取り壊す作業に取り組んでいて被爆しました。この本はその中で遺族によってどのような様子で亡くなったのを知ることが出来た226名の記録です。

 彼らの中には、空襲が少ないからと東京や大阪から転校してきた生徒もいました。体調が悪く作業は無理だけれど荷物番ならできると登校した生徒もいました。当日の朝、めずらしく行くのをしぶってお母さんに急かされ登校した生徒もいました(お母さんはこの後ずっとそれを後悔されます)
 そんな生徒達が先生の指示を聞くため整列していると、上空に原子爆弾をつんだ投下機・エノラ-ゲイが現れます。全員で空を見上げその行方を見つめている時、自分たちに向かって爆弾が落ちてくるのがわかったそうです。彼らが作業していたのは、爆心地から500メートル程しか離れていない川の土手でした。

 まさか広島全市が破壊されたとは思わず川の中で救助を待つ人、両親に会いたい一心だけでなんとか家にたどり着いた人、途中で力尽きた人、その場で亡くなり翌日探しに来た家族にさえ持ち物でしか判別できないほど負傷していた人。最期の場所は皆、様々でしたが原爆が落ちた日から6日後の12日までに、一年生全員が亡くなりました。

 「碑(いしぶみ)」 というのは、大きな出来事を後世に伝えるために文字を刻んで立てておく石のことです。70年前の今朝、広島にどんな悲惨な事が起こったか、戦争のない平和な世界がどんなに大切なものかを多くの人に考えて欲しいという願いを込めてこの本の題がつけれらました。

2015年08月03日

7月の図書だよりから ②

 2020年開催の東京オリンピックに向けて、国立競技場の建設問題が何かと話題になっています。びっくりするくらいのお金をかけて、びっくりするような競技場が出来るのはどうやら回避されそうですが、大会のシンボリックな建築になるのは間違いないですね。今日は世界のちょっとかわった建築をあつめた1冊。

520 おかしな建築の歴史/五十嵐太郎(エクスナレッジ)
 最初に登場するのは、建築家たちによる東日本大震災・復興プロジェクト『みんなの家』です。それは震災後に新しくできたコミュニティのための集会所的な建物ですが、名前の通り、出来るだけ一般的な家に近い建設を設計したことで注目をあびました。そして最後がエジプトのピラミッド。
 この本は歴史の教科書と違い、現代から古代へ4500年の人類の建築の歴史を125のキーワードを用いてさかのぼり紹介しています。
 例えば、周囲の建物と全然違う独創的な「アイコン建築」、宇宙から舞い降りたような「ウルトラマン建築」、現代の流行であるシンプルな建築に対抗する「ヤンキー建築」 などなど。
 古代の思想的なものから近年は省エネ目的となっている「緑化建築」 高校校舎もがんばればこのカテゴリーに入るのでは?と思いましたが、掲載されている建築の緑化具合を見ると、うーん、まだまだかなあ。

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  満載の建物写真をながめるのも楽しい。キーワードに合わせて変幻自在の建築妖精・おちくさんがナビゲートします。