さすが
旧校舎から仮校舎へ ― さすがに,人数が多いと引越も早く済む。30分少々で完了した。主のいなくなった教室はすぐさま黒板が外され,廊下にあったロッカーその他も全部なくなった。一瞬にして人の気配が消えた。
逆に,仮校舎の方は,まさに,満杯状態。あちこちで声がし,賑やかだ。勝手の違いにやや戸惑っている風でもあるが,そのうち慣れて静かになるだろう。
旧校舎。1954年完成。3階建てで,鉄枠の窓だったようだ。当時としては大変スマート(今風にいえばクール)で,この地らしい校舎だった。落成にあたり,1954年6月5日号「ひばり」に板倉操平初代校長は「なせばなる」と題して以下の文を寄せている。
「雲雀丘の松の緑にはえて,白亜の三階の校舎が,そびえ立って居る。之れぞ吾等の新校舎,待望の殿堂が落成したのである。五月一日移転,此所に学ぶ吾々の悦びは云ふべき言葉もない。只に悦んで居るだけではすまぬ。立派な外観に恥ぢぬ内容の充実こそ,吾々に課せられた任務である。今や,先生も生徒も,此の自覚をしっかりと,心に固めなくてはならぬ時と思う。(中略)此の学園の伸展は自然になったのではない。学園内外関係者の血のにじむ努力によって,ならしめたのである。
なせばなる,なさねばならぬ,なることを,ならぬと云ふは,なさぬなりなり
『不可能』と云う語は,ナポレオンの辞書には無いと云う様な,おゝそれなことを云うのではない。吾々で出来ること,平凡な小いことを,一つ一つ真面目の態度でやりぬいて行く,地味に足下を固めていく,小を積んで,大となす。過去はそうであった,今後もそうなくてはならぬ。そして今から五年さきを見て下さいと各がしっかりと,覚悟することである。
果たして其れが期待出来るか,私はやり得るという自信を持つ。五月以降一ヶ月間,新校舎移転後の掃除,運動場の整備を学業を廃することなしに,あの一週間で兎に角一応ものにした。あの態度,あの熱意で貫きとおせば事は必ず成る。吾々は不可能を可能にするのでない,只なることをするのである。」