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干支にまつわる話(Ⅲ)

干支のチャート

  古代中国では時間や方角を示すのに「十干と十二支」が使われていました。この影響を受けた日本でも時間や方角を示すのに「十二支」が使われてきました。これらに関する言葉や逸話は現在でも多く残っています。
  真夜中を1日の起点とする考え方は、意外と古い歴史を持ちます。人類は古来より太陽が頂点に達する時間と、その正反対の時間を基準に1日の時間を計っていました。日の出や日の入は季節により変動するため使いにくいからです。東洋では1日を12で割り、順番に十二支を当てはめました。つまり2時間ごとに割ることになります。最初の子の刻は0:00を中心とする2時間、即ち23:00~1:00、怪談などでよく使われる“丑三つ時”というのは、丑の刻が1:00~3:00の意味で、さらにその2時間を4等分するので、その3番目の時間、つまり2:00~2:30のことを指します。午の刻は11:00~13:00に当たります。現在でも昼の12時のことを“正午”と言い、それより前を“午前”後を“午後”と言います。
  十二支は方角にも当てはめられるようになりました。東西南北はそれぞれ卯・酉・午・子と定められ、それ以外の干支、例えば丑の方角は“北北東より少し南寄り”(北東微北)という面倒なものになるので、一般には使われず、艮(うしとら=北東)巽(たつみ=南東)坤(ひつじさる=南西)乾(いぬい=北西)と呼ばれるようになりました。これにもいくつも逸話が残っており、例えば鬼が“牛”のような角を持ち“虎”の毛皮を纏うのは“艮”(うしとら)の方角、即ち北東を鬼門とする慣わしからと言われています。鬼退治に行く桃太郎の従者も、その逆方向にある干支の動物、猿や犬、鶏(転じて雉になった?)なのです。