学級通信から
2005(平成17)年6月,食育基本法が衆議院で可決,成立した。この法律では,食育を知育,徳育および体育の基礎となるべきものと位置づけ,国民の心身の健康の増進と豊かな人間形成のために食育に関する施策を総合的かつ計画的に推進することを目的としている。この,「食育」という言葉,聞き慣れない者にとっては最近流行りだした造語のように思えるが,すでに明治の頃に登場していた。それを世に広めたのは,報知新聞編集長を務めた小説家,村井弦斎であった。
村井は,1863年愛知県豊橋市で生まれた。猛勉強の末,12歳で東京外語専門学校(現 東京外国語大学)ロシア語学科に入学するが,体を壊して中退。しばらく放浪の後,1884(明治18)年から3年間,アメリカに渡っている。
帰国後,郵便報知(現・報知)新聞に就職し,同時に小説を書き始めた。中でも編集長も務めていた1903(明治36)年に発表した小説「食道楽」は,50万部にもなるベストセラーで,小説の体裁をとりながら和洋中600種以上の料理を紹介し,日本にグルメブームを巻き起こした。この中で,村井は主人公・大原満の恋愛相手お登和の言を借りながら,「食育」について次のように述べている。
生活問題の人生に大切なるはいまさらの事にあらざれども世人(せじん)はとかく迂潤(うかつ)に流れて人生の大本を忘るる事多し。小山も深く感激しけむ。
「お登和さん,私は学校にいた時分から,ほかの人よりもよけいに色々な知識を蓄える事が好きで,歴史上の知識でも文学上の知識でも科学上の知識でも,何でも頭へ詰め込む方でしたが,今になって見ると,まだまだ実用の知識はいっこう蓄えてない事を悟ります。これも,一つは我が国の教育法が間違っているから,何事も実際にうかつな人物ばかりできるのです。これからの子弟を教育する者は,よほどその点に注意しなければなりません。」
お登和嬢「さようでございますとも。私なんぞが教育の事をかれこれ申しては生意気にわたりましょうが,平生,兄はこう申しております。
今の世は,しきりに体育論と知育論との争いがあるけれども,それは加減に依るので,知育と体育と徳育の三つは蛋白(たんぱく)質と脂肪と澱粉(でんぷん)のように,加減を測って配合しなければならん。ただし,まず知育よりも体育よりも一番大切な食育の事を研究しないのはうかつの至(いた)りだ。
動物を飼って見ると,何より先に食育の大切な事が解る。鶏を飼っても,食物が悪ければ卵をたくさん産まない。牛を飼っても,食物が悪ければ牛乳の質が粗悪になる。馬を飼っても豚を飼っても食物の良否でその体質が変化する。
人間もその通りで,体格を善くしたければ筋骨を養うような食物を与えなければならず,脳髄を発達させたければ,脳の栄養分となるべき食物を与えなければならん。体育の根源も食物にあるし,知育の根源も食物にある。して見ると,体育よりも知育よりも食育が大切ではないか,
と,よくそう申します。
ちょっと風変わりな議論かも知れませんが,鶯(ウグイス)を飼って,いい声を出させようとすると,たいそう,食物を吟味して,栄養の多い消化の速いようなすり餌を与えます。人もその通りで,善い知恵を出させようとするには,それだけの食物を与えなければなりますまい。野菜を作っても肥料が大切です。人も不衛生的な粗悪な食物ばかり食べていては身体も精神も共に発達しますまいから,誰でもこれからは食育と云ふ事に注意しなければなりません。
赤子を牛乳で育てる人は,少し胃腸が悪くなると,オヤオヤこの子が下痢するよ,きっと牛乳屋で青草ばかり牛に食べさせるからだろう。牛乳屋に小言を云つてやろうなんぞと,その時分だけ食物の影響を知っていますが,少し大きくなると,大人同様の食物を与えて平気でいます。発達を過ぎた大人と発達盛りの小児とはよほど食物の配合を変えなければなりません。(後略)」
食物ですべてが決まる,と喝破する等,少々幼いが,食の大切さを単純明快に述べている。まさか100年後に法律ができるとは,二十世紀を予言した村井自身でさえ夢にも思わなかったであろう。