学級通信から
わずか2日間ではあったが,合宿は,日常とは趣を異にした,「共同」の生活の場であった。諸君達は,この空間で,意識せずに「community(life)共同(生活)」を作り,何かを「collaboration 共同制作」していったのである。大袈裟(おおげさ)かもしれないが,その作品は,一生の宝になるかもしれない。いや,そうあって欲しいと私たちは願っている。はたして,何をコラボしたのか?
振り返ってみれば,合宿前に各自に「自分史」を書き上げる課題があった。難航したと思うが,この作業の中で,過去のできごとが時間軸に従って整理されていったと想像する。そして,アルバムを見る時とは違い,それぞれの時代のエポックが浮き上がってきただろうと思う。 事実,模造紙に大きく“映された”諸君達の自分史を読んでみると,それぞれに,現在の自分を変えた(あるいは支えた)できごとを表現していた。
そして,その後の「LIFE R.P.G」「未来予想図」である。R.P.Gの名の通り,ゲームとはいえ,実際に起こりうる出来事があり,決して億万長者になるとか,夢物語で終わらない。「未来予想図」にしても,未来は横一直線でなく,誰しもが山あり谷あり,種々のカーブを描いていた。未来は決して平坦ではないと悟ったのだ。
思い返して欲しい,そのとき,隣の彼(彼女)の図は自分と同じであったかどうか。彼には彼の,彼女には彼女のかけがえのない人生が描かれていたのではなかったか。
そして――そこに,自分を囲む多くの者がいたことに気づいただろうか。知らずのうちに影響を受け,影響を及ぼし,自分を高めてくれた人がいたことを。まさに,それが「collaboration」なのである。
普段では埋没して見えないが,多くの者が集まり,一つの目的に従って生活しているという点において、学校もまた「コミュニティ」であり,コラボレーションの場である。授業や部活その他の活動を通して,互いに作品を造り上げていく場である。そんな学舎(まなびや)を粗末に扱い,勝手気ままに振る舞っては,いい作品には仕上がらない。