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Load to Victory(注: 阪神の話ではありません)

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4月始まった頃,「大学入試? まだ先じゃん!」と呑気に構えていた人達も,願書を書き,出願準備の相談をしている光景を見かけるようになりました。いままさに,受験するという現実が自分自身に起こってきています。恐らく,心と頭の中は,後悔と不安と開き直りが日ごとに入れ替わっているのではと想像しますが,これは,皆さんの先輩達も皆平等に味わってきた気持ちです。
 そんな中,先輩達はいかにして栄光を勝ち取っていったのか,その受験例と,それに伴う進研模試の判定をいくつか挙げてみました。


☆A君 「自分は将来,警察官になりたいと思っています。」

同志社大学法学部(模試判定C)
関学F・法○ → 関学A・法○ → 関大A・商○ →関大S・法○ → 同志社・法○
  A君は,高1の時,理系クラスに在籍していました。入学当初から既に「警察官になりたい」という夢を語っていました。そして,高2に進級する際に,夢を現実のものへという想いがはっきりと見えてきたので文系へ。「努力」という言葉がピッタリだったA君。結果はこの通り,第1志望はもちろん,受験した大学すべてにパーフェクトで合格しました。


☆B君 「先生,僕勉強するから,まあ見てて。」

関西大学商学部(模試判定E)
近大推・経営○ → 関学F・商×→ 関学A・商× → 関大S・商○
私は今でも,「先生,僕勉強するから,まあ見てて」と言ったB君の顔が目に浮かびます。このセリフを言ったのは,高2の春,5月の半ば。確かに前期の中間は成果が出ていました。しかし,その後,あの言葉は何だったの?という生活ぶり…部活も辞めていたので,放課後は教室で遊んでばかり。案の定,その後の成績は奈落の底で,最終の評定は,なんと3.2。さすがにまずいと思ったらしく,高3になってからの放課後は,周りの友達は,相変わらず気が散っていても,彼は集中して勉強していました。最後の最後まで諦めずに努力すれば報われる,よい例だと思います。


☆Cさん 「引退まで,運動部で頑張りました。」

甲南大学法学部(模試判定9月E,10月B)
甲南大・経営○ → 甲南大・文× → 甲南大・法○ → 関大A・商×
 「毎日部活で,家に帰ったらくたくたで寝てばかり。自分では頑張ってるみたいなんですけど・・・・・・。」とお母さん。でも,Cさんは本気で部活をしていただけあって,引退後は勉強に集中したようです。国英の偏差値が,9月に46.5だったのが,10月では61.0。マークと記述の違いはあれ,実力は明らかに伸びてきました。


☆D君 「関学に行きたいんだ。」

関西学院大学経済学部(模試判定9月E,10月D)
京都外大・推薦○ → 関学F・法× → 関学A・経済○ → 関学A・法× → 関学A・総政×
 D君の将来の夢は,英語の教師になること。そのためには,英語の教員免許が取得できることが第1条件でした。しかも,関学に行きたい。D君は,推薦入試で京都外大を合格しても全く浮き足立つこともなく,自分の志望を貫き通しました。


☆Eさん 「推薦でkeep。一般で関関同立をねらえ~。」

立命館大学経営学部(模試判定D)
龍谷・推薦・法○ →関学F・経済× → 関学A・経済× → 立命A・経営× → 関学A・法× →関大B・法× →立命A・経営× → 立命3教科・経営× → 立命センター併用3科目×→ 立命・後期経営感性+セ○
Eさんは,高1の終わり頃から,法律の勉強がしたいと思うようになってきました。それで,推薦で龍谷大学・法学部を受験し,合格。これで産近甲龍keepした。しかし・・・・・・。そのうち,「法学部でなくても,関関同立のどこかに行きたい!」と思うようになり,与えられた機会・チャンスは逃すまいと,あらゆる方式で受験しました。すると,見事に,「経営学部で学ぶ感性+センター試験」方式で合格を得ることができました。