学校ブログ

卒業生~母校は母港になる

No.24(37期)雲雀丘学園の育み

2022/02/25

 私は、雲雀丘学園中学・高等学校では、野球部で過ごしました。夏の合宿で100本ノックのとき、「これからしんどいことがあった時、あの時できたのだから、今回もできると思えるようになる」と、顧問の先生がノックで手のひらをボロボロにしながらおっしゃったことは、いつも心の支えになりました。高校野球の夏の予選大会は、神戸新聞で記事になりますが、私たちの試合も掲載されました。その神戸新聞の三田版には「関学研究室から〜神戸三田キャンパス」というコラムがあり、関西学院大学神戸三田キャンパスの教員が研究内容を紹介しています。2022213日のコラムは私が担当しました。1994年の高校野球の記事から28年ぶりの神戸新聞に、ちょうど雲雀丘学園のことを思い出していたところ、コラムを見て、すっかり疎遠になっていた母校の先生からお手紙をいただき、「母校は母港になる」に寄稿することになりました。名前を覚えてくださったことに驚き、また、母校とのご縁が繋がったことをありがたく思います。 

 さて、雲雀丘学園卒業後は、都市政策について学べる関西学院大学総合政策学部に進学しました。関学総政はとにかく刺激的でした。在学中、大学のいろいろなプログラムに参加するうちに、経済開発に関心が移り、インドネシアへ交換留学しました。インドネシアはイスラム教徒が多く、当時は発展途上の国でした。帰国後、大阪大学国際公共政策研究科に進んで勉強していると、都市政策への関心が再燃し、都市経済学を専攻しようと思いました。もともと持っていた都市政策への関心と大学で持った経済開発への関心が融合した感じがします。経済学を勉強するならアメリカが良いと思い、ニューヨーク州立大学バッファロー校でPh.D.を取得しました。修了後は、カリフォルニア大学 リバーサイド校、熊本学園大学、近畿大学を経て、2021年度から現職に至ります。気ままな進路選択をしてきたと思いますが、家族の理解があったことと、雲雀丘学園のやさしい環境で先生がたや友人たちと過ごした日々が、自由な人生の選択につながったと思います。

 現在の私は、交通の発達が地域経済に及ぼす影響について研究しています。研究手法はプログラミングによるシミュレーション分析です。都市シミュレーションのアプリを作成し、自分でプレイするイメージです。雲雀丘学園での勉強は学問の基礎として役立っています。 

 教員になった今、先生がたのお言葉や取り組みなどをよく思い出します。高校生の頃、担任の先生が私は大学教員になる気がすると、私の友人たちには話していたそうです。また、英語が苦手な私が暗唱大会に熱中したのには、当時の英語がご専門の担任の先生には驚かれたのではないかと想像します。6年間の思い出は書ききれません。 

 大学教員にとって母校で教育にあたることは特別なことで、私にとっても夢でしたが、運よく叶いました。教育でいただいたご恩は、次の世代にお返ししたいと思い、力不足ながら教育に取り組んでいます。雲雀丘学園のみなさんが先生がたやご友人たち、ご家族の皆様と学園生活を楽しみ、充実した人生を送られることをお祈りしております。 

平松燈(1995年卒37期生・関西学院大学 総合政策学部 教授) 

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