学校ブログ

卒業生~母校は母港になる

No.41(41期)「あなたはあなたでいいんだよ」と教えてくれた日々

2022/09/05

「ずっと・・・“大人しい文学少女”だと思っていました。」

 雲雀丘学園の担任の先生が、私が高校3年生になったころの面談で母に言ったそうです。 

 中学校は自宅からほど近い公立の学校に通っていましたが、どうしてもソリが合いませんでした。自分では疑問点を聞いただけ、意見を言ってみただけのつもりでも、そうは受け取ってもらえず誤解されて窮屈な思いをすることが多い日々を過ごしました。大いに傷つき、中学校を卒業するころには自分を出さない大人しい生徒になっていました。 

 私が本来の自分をだんだん出せるようになったのは、高校2年生の後期に担任の先生から厚生委員長をやってみたらと背中を押してくれたことでした。クラスメイト、他のクラスの仲間との関わり、職員室の楽しい雰囲気が今でも鮮明に思い出されます。楽しい雰囲気の中で「あなたはあなたでいいんだよ。」と自分を表現しても受け入れてくれる土壌がありました。雲雀丘学園はちょっと人と違っていてもOK、を受けて入れてくれる学校でした。 

 雲雀丘学園高等学校を卒業後、大学に進学しました。大学3年生終了時には、その大学が協定を結んでいた韓国に1年間交換留学する機会を得ました。当時の日本は韓流ブームの火付け役、「冬のソナタ」放映以前であり、韓国語・韓国の人気はほとんどなく、第2外国語として選択した韓国語のクラスも全学合わせても1クラスしかありませんでした。 

 「交換留学生候補者を募集しても応募がないらしいのですが、行きたい人はいないですか?」 

 ある日の韓国語のクラスでアナウンスがありました。かねてより国際交流に興味のあった私は、授業が終わるとそのまま国際交流センターに駆け込みました。留学してみると、世界から様々なバックグラウンドを持つ留学生が集まっており、いろんな生き方があることを知りました。「棚から牡丹餅」のようなチャンスでしたが、20歳前後の時期にこのような機会を得られたことは本当に幸運でした。 

 帰国後は、大学に残り四苦八苦しながら博士 (環境科学) の学位を取得しました。任期付き研究員の職を点々としながら、20214月、富山県立大学に大学教員として赴任しました。着任早々、かねてより参加したいと思っていた南極へ、63次南極地域観測隊 (夏隊) 隊員として参加しました。 

(南極地域観測隊 (夏隊) のようすは「こちら(富山県立大学ホームページ内 広報誌 133号)」をどうぞ)

  現在は大学の教員として授業・ゼミなどを担当し、研究も進めています。専門は環境科学・環境リスク学です。

 国内外のフィールドに出て河川水、降水、土壌、大気などを採取し、得た試料を研究室に持ち帰って分析します。そこから環境改善のために何が言えるか?を考える研究をしています。自然相手の部分もあり、なかなか思うようにならないこともありますが、所属研究室の学生とともに取り組んでいます。一緒に研究してみたい人も募集中です。

  さる6(2022)高校生対象の『OneDayCollege』で講義をするため、久しぶりに母校を訪ねました雲雀丘花屋敷駅の改札にほど近い校門から入構すると、新宮晋さんの作品が見えます。その横には小さめの二宮金次郎の像が立っています。金次郎さんが私の在学時と変わらず熱心に本を読んでいるのを確認しながら中・高校校舎に向かって歩いていくと、ひばり生の「こんにちは」という笑顔に出会えます。職員室に行けば顔なじみの先生が迎えてくれます。

  雲雀丘学園高等学校を卒業してかなりの年月が経過しました。しかし雲雀丘学園での日々の生活の中で、自分を表現することの大切さを教えられたことは少なからず今の自分に影響しているように思います。卒業後は母校に立ち寄る機会はなかなかありませんが、いつでも 母港として迎えてくれる雲雀丘学園に時々寄港しつつ旅を続けていきたいと思います。

 中澤 暦(富山県立大学工学部 環境・社会基盤工学科 講師、1999年卒 41期生、写真左下から2番目)

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