学校ブログ

卒業生~母校は母港になる

No.53(51期) 樹木医になるまでの軌跡

2022/12/07

 中学、高校時代とお世話になりました。運動神経があまりよくない私は、中学・高校と野球部に所属していましたが、何とか6年間野球を続けたことで、体力やへこたれない精神力をそこで培うことができたと思います。また、中学の職業インタビューを通して樹木医の方とお話しする機会があったことが、私の一つの転機となりました。そこで、樹木医の仕事に興味を持ち、樹木医補の資格が取れる大学を選びました。現在は、樹木医として海洋博公園において、沖縄らしい景観を保つために、樹木に悪さをする虫や病気に関する研究に従事しております。

 また、私のこれまでの大きな転機と言えば、大学・大学院です。大学の研究がうまく行かなかった私は、研究の楽しさが分からず、レベルの高い別の大学院でやっていけるのかと正直不安でした。しかし、大学院で出会った恩師や学生の皆さんが私を温かく迎え入れてくれて、研究の楽しさを教えて下さいました。この2年間で研究の楽しさを感じることができ、社会人になった今でも研究の道を進むことができているのですが、それは、大学院のみならず、大学の恩師が研究の厳しさを教え続けてくれたからだと思います。これからも人生の師として、研究の厳しさと楽しさを教えて頂いた大学・大学院の恩師の背中を追い続けていきたいと思います。

 このように今の私があるのは、中学・高校の6年間で、樹木医という仕事に出会うきっかけを作って下さったこと、また、研究をする上で求められる体力、孤独に耐える能力等を鍛えて下さったお蔭であると改めて思います。今は亡き監督、国語を教えて頂いた先生、そして、同級生には生前に感謝をお伝えできず、非常に残念ではございますが、中学・高校時代の恩師や同級生、部活の先輩・後輩の皆様方、そして、支えてくれた家族を含め、この場をお借りして感謝申し上げます。

 最後にではございますが、樹木医学的研究を続けている上で大切にしている言葉があります。それは、「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演されていた塚本こなみ樹木医の言葉、「木をみて、森をみて」です。「木をみて、森をみず」は皆さまもご存じの通り、細部にこだわりすぎて、全体を見失うことという意味ですが、この諺の教訓となる、全体を見失わないようにすることに囚われすぎずに、細部もみて全体もみるバランスが必要であると私は思います。そのような意味を、「木をみて、森をみて」という言葉は的確に表していると思います。この言葉通り、広い視野と細部をみることも忘れないように心掛けながら、樹木医の視点に立って、現場に役に立つ研究をこれからも続けていきたいと考えています。 

沖縄美ら島財団 辻本悟志 (2009年卒業/51)

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