学校ブログ

卒業生~母校は母港になる

No.116(34期)「生きるチカラ」と「縁をつなげるチカラ」

2025/12/22

こんにちは。34期生の相澤(旧姓:高田)雅子と申します。
 私は雲雀丘学園で中学から高校までの6年間にわたりお世話になりました。今回、卒業生が綴るブログへの寄稿を打診されながら、筆は一向に進まなかったのですが…お世話になった板倉先生から再度ご連絡をいただき、重い腰を上げた次第です(笑)。

 さて、冒頭の34期生ということからご推察の通り、学校を卒業してから30年以上たっております。学生時代は、特に目立つこともなく卒業後も立ち寄ることもなかった…薄情な卒業生でしたが、ひょんなことからこの度仕事を通じて再び訪れることになりました。通っていた母校にまさか仕事で関わる日が来るなんて、不思議な縁もあるものだな、というのが今の正直な思いです。
 少し話を進めると、現在は大阪を本社とする住宅メーカーに勤めております。といっても営業や設計、建設といった住宅本来の職種ではなく、宣伝。そこに約30年もの間、務めております。同じ会社に30年!しかも入社以来、職種を変えることなく宣伝制作に携わってきました。今や絶滅危惧種並み?に珍しく固定化したキャリアで、よく同じ会社で続くよね…ともいわれたこともありますが、「宣伝」がやっぱり好き、というのが続いた理由でしょうか。商品や製品、サービスを告知するのが宣伝ですが、その中身はさまざま。CMもあれば新聞、ラジオ、街中のサイネージ、WEBサイトのほか、カレンダーや情報誌、カタログの制作などなど。自社の商品・サービスに興味を持ってもらいたい、少しでも素敵っ!とか“いいね”…と思ってもらいたいとCMや新聞広告づくりを日夜、励んでいるところです。とはいえ、私自身は有名な美大を出たとか、これ!とった特技があるわけではなく、世の中にまだ良く知られていない自社の商品や製品に込められた技術、取り組みを様々な角度からアイデアを凝らし(絞りだし)ながらスポットを当てていく、といったもの。住宅はもちろん、事業用建物の建築や既存住宅のリフォーム、空き家や中古住宅など不動産流通、ひいては街づくりまで、人の暮らし、家族が集う「住まい」を世の中のトレンドや社会課題を交えながら表現する、というこの仕事がつくづく好きなのだと思っています。(続けていると、たまには賞ももらえます)

 長く社会人をしていますと、厳しいこともプレッシャーも、それなりに味わい尽くしてきたと思っていますが、本当に何一つ器用な点などなく、ただただCMや広告物が好きで、「好き」をカタチに、という想いで、1つ1つこなしていたらここまで来た、という感じ。思えば学生時代も…いろいろと馴染めなかったり、不器用だったりで。こうしたいという自分の「想い」と「現実」のギャップにはずいぶん苦労させられました。家庭科実習(笑)も苦手でしたね。今も取り組まれているのか不明ですが、デニムスカートや浴衣づくり、そして編み物。とにかく不器用だし、履修は遅れるし…で苦労しました(当時いらした山田セツエ先生に、編み物実習で朝練呼び出しを受けたのは私くらいかと…)。勉強も別に得意ではなくて、中学時代の遠泳の練習に漢字や英単語の100問テスト…も!当時は、嫌で、嫌で…。でも雲雀丘の先生方は辛抱強く…時に厳しく、そして一人一人の生徒に丁寧に付き合ってくださったなと思います。今も社会人として仕事を途中で投げ出さずに粘り強く取り組めるのはやっぱり三つ子の魂なんとやら、という教えのたまものかもしれません。(感謝!)
 物事を成功につなげるには、「途中で諦めず」が肝要と言われますが、一つひとつ積み上げるのみ。決して近道はありませんが、やり続ければ必ず最後にはカタチになったという経験を学生時代にさせていただいたことで、愚直ながら学力とはまた別の「生きるチカラ」を授けていただいたと思います。またもう一つ感謝しているのは、「縁をつなぐチカラ」。今回、母校に訪れる機会を得たこともその1つですが、長く社会人をしていると自分だけで解決できないことも多々遭遇します…。本当に困ったときには、思いもよらない方向(人)からサポートいただけるのも、学生時代を通じて健やかに、感謝できる心を育んでいただいた、「母校」の有難い教えのひとつかも?と今更ながら、気づかされた次第です。

 今回仕事とはいえ、突然訪れた母校でお会いできた中井先生、野村先生、あと当日はお会いできなかったのですが板倉先生の3名の先生方にとって、34期生は初めての教え子だったとか。「親の心、子知らず」とはよくいったもので、卒業後は疎遠だったのですが、久しぶりに訪れた元生徒に対しても、先生方は温かく迎えてくださり、当時の想い出が一気によみがえる…といった貴重な体験もできました。
 学生時代は大した成果もなく毎日を往復していただけで対して思い入れもなかったと思っていましたが、今ではたくさんの優秀な後輩を輩出している「母校」が今も続いていることはやはり嬉しく、そう思わせてくれる本校は、卒業生にとってはまさしく「母港」でした。せっかく再びつながった「縁」ですので、今後も微力ながら何かお役に立てることがあれば、協力させていただきたいと思います。

相澤(旧姓 高田)雅子 (34期、1992年卒)

左)日刊工業新聞(2025年9月1日)掲載の新聞広告。
住宅の構造における耐震技術をテーマにした広告で「2025年日本産業広告賞」を受賞。
右)オランダの作家アリー・ファン・ト・リート氏がレントゲン写真をアートに昇華させた作品でつづった、2026年版企業カレンダー。第77回全国カレンダー展で「経済産業大臣賞」を受賞。

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