卒業生~母校は母港になる
No.117(54期)優しさが荒波を進む力に
2026/02/10
中・高等学校54期卒業生の天﨑仁紹と申します。現在は兵庫県尼崎市にある西性寺(さいしょうじ)という浄土真宗本願寺派の寺院にて、次期住職として日々の寺院活動に臨んでいます。
早いもので、2012年に卒業してから14年を迎えました。卒業後は浄土真宗本願寺派の宗門校である龍谷大学へ進学し、同大学院を経て現在のお役目を仰せつかっています。
皆さまは「仏」と聞くとどのようなイメージを持つでしょうか?恐らく「優しい」という印象を持つ方が大半だと思います。実際その通りで、浄土真宗の御本尊であります「阿弥陀如来(あみだにょらい)」という仏様は、私たちからあらゆる苦しみを取り除こうとはたらき続けてくださる、とても優しいお方です。
しかし、その優しさとは裏腹に、仏の心から背いてしまうのが私たちであり、日々の生活を通して我が身の愚かさに気づかせていただくばかりです。……と、仏教のことを書くと止まらなくなってしまいますので、これぐらいにしておきましょう。
さて、振り返れば私の中学校、高校生活は「自由」を心の底から望んでいた6年間であったように思います。正課授業はもちろんのこと、部活動や登下校時においても「ヒバリの生徒」としての姿勢を問われ、制服や髪型といった身だしなみも非常に細かくチェックされました。加えて、家に帰れば「寺の息子」としての振る舞いが求められ、非常に息苦しく感じていたのを覚えています。大学へ進学し、それまでとは比にならないほどの自由を獲得した時は、ただならぬ開放感を抱いていました。
しかし、その開放感はやがて重荷へと変わっていきます。なぜなら自由には責任が伴うからです。言葉選びを一つ間違うだけで、長い年月を経て紡いだ人間関係も崩れてしまいかねない、非常に厳しい世界であることを、大学生活やその後の社会人生活を通して思い知らされました。そして、中高6年間のご指導の裏には、「自由がある世界に放たれたとき、道を踏み外すことがないように」という先生や周囲の大人の方々の優しさがあったのだと気づくばかりです。
2年前、2024年の年末に、54期生の「30歳のつどい」がありました。卒業してから干支が一回りしても、変わらず気にかけてくださる先生方や同級生に囲まれ、心が安らいだと同時に、私も頑張らなければと奮い立たされました。
社会という荒波を航行している私ですが、港から離れても想い続けてくださる方々がいるからこそ、安心して進んでいけるのかもしれません。そしてそれは、仏様と私の関係にも重なるものとなり、宗教者としての人生が深まるきっかけになっています。
この度の寄稿を通して、改めて母港の有り難さに気づかせていただきました。そんな港に泥を塗ることがないよう、引き続きの人生をしっかりと歩んでまいりたいと思います。
(写真は、京都の西本願寺で法話をしている時の様子です)
浄土真宗本願寺派 海雲山西性寺 次期住職 天﨑仁紹(2012年卒業・54期)
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