卒業生~母校は母港になる
No.121(63期)やってみなはれ
2026/05/14
こんにちは。63期生の吉冨千鶴(よしとみちづる)と申します。高校卒業後、立命館大学政策科学部に進学し、現在は名古屋テレビ放送(メ~テレ)でアナウンサーとして働いています。この4月で2年目を迎えました。
雲雀丘で過ごした3年間は私にとってかけがえのない時間でした。
学校生活の中で、特に深く残っている言葉があります。それが、学園の精神である「やってみなはれ」です。この言葉は特別な場面だけでなく、日々の学校生活の中に自然と溶け込んでいたように思います。先生方は常に生徒の挑戦を後押ししてくださり、「まずはやってみよう!」と思える空気がありました。特にそれを感じたのが、高校3年生のときの「エンカレッジメント・パフォーマンス」です。
コロナ禍で多くの行事が中止になる中、先生方の尽力によって、感染対策を徹底した形での縮小開催が実現しました。受験勉強に追われ、コロナの影響で登校もほとんど出来ておらず、クラス全員、まだお互いのことをよく知らない状態でのこのイベント。初めはみんな不安げでしたが、衣装や曲決め、振り付けまで、「せっかくなら全部やってみよう!」と全員で意見を出し合いながら準備を進めるうちに、教室は笑顔で溢れていきました。イベント当日は、とても楽しく、今思い出すだけでも笑みがこぼれてしまいます。当時のクラスメイト達は、社会人になった今でも連絡を取り合う大切な存在です。
「やってみなはれ」の精神は、就職活動でも私の背中を押してくれました。
私は幼い頃からアナウンサーを目指していたわけではありません。話すことは好きでしたが、アナウンサーは漠然とした憧れにとどまり、大学3年生の夏頃まではテレビ局の採用試験を受けていませんでした。しかし、「本当に自分がやりたいことは何か」と自分と向き合い直したときに、アナウンサーを目指したいという気持ちに気が付きました。そして、思い立ってから2週間後には、毎週土日に大阪から東京のアナウンススクールへ通う生活が始まりました。今振り返ると大きな決断でしたが、当時は不思議と迷いはありませんでした。その一歩を踏み出せたのは、雲雀丘で学んだ「まずはやってみよう」という気持ちが、自分の中に根付いていたからだと思います。あの時、挑戦していなければ、私はアナウンサーという仕事をしていなかったと思います。
今、アナウンサーとして新しい仕事に向き合う中でも、私は雲雀丘での日々を思い出します。
「やってみなはれ。」その言葉は、挑戦する勇気をくれるだけでなく、一歩踏み出した先にある出会いや成長の大切さも教えてくれました。
これから入学される皆さん、そして今、雲雀丘で学校生活を送っている皆さんも、ぜひ自分の「やってみたい」という気持ちを大切にしてください。結果がどうであっても、自分で踏み出した一歩は、きっと未来の自分につながっていくはずです。
私自身も、この考えを忘れずに、これからも挑戦し続けていきたいと思います。
吉冨千鶴(2021年卒、63期、名古屋テレビアナウンサー)
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