2018年12月07日

『師』をもとめる

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 3年生は英語の時間に『クリスマスプレゼントにほしいもの』を考えて,サンタクロースに英文のお手紙を書きました。自己紹介から始まり,一番大切な「ほしいもの」をしっかりと書いて,最後は “Thank You.from ○○”で締めくくります。3年生のほとんどは,サンタクロースの存在を信じています。「ぼくの家には煙突がないんだけど,サンタさんはどこから入ってくるのかなぁ…?」と真剣になやんでいる姿を見ると,微笑ましい気持ちになります。

 そんな可愛い3年生ですが,少しずつ自我が芽生えはじめると,大人,とくにお母さんの言葉に素直に応じなくなります。ときには乱暴な言葉もつかいはじめます。それが心の成長の証だとはいえ,保護者の方の心中は不安でいっぱいになることでしょう。

 ある教育書に,「そういうときは外の指導者に子どもを任せる」ことも一つの手だとありました。ピアノ教室の先生,サッカークラブのコーチなど,外の指導者のアドバイスには子どもは素直に耳を傾けるものです(子どもが熱中しているもの,という前提ですが)。自分の面倒をみてくれるのはお母さんを中心とした家族…という年頃から脱皮をして,子どもは自然に外に『師』を求めるようになるのですね。その師に我が子を任せるぐらいの思い切りが,中学年の子を持つ保護者には必要だということです。

 学校の教師が『師』となる場合も少なくないと思います。歴史好きの子は歴史に詳しい教師に,野球好きな子は野球が得意な教師にと,自分の興味に長けている教師に子どもは自然に寄っていきます。担任を『師』とする子もいれば,隣のクラスの担任に自分と共通する何かを見つけて『師』とすることもありますね。

 教師として子どもに『教』えるだけでなく,子どもの『師』となるよう自分を磨くことも大切…。あらためて,そう感じます。

(小学校 研究部主任 神吉 清視)

2018年11月30日

小さな偉人

 以前6年生を担任していた時、子どもたちに身長で追い越されることはありませんでした。ただ最近は、卒業の時点ではすでに肩を並べるほどの体格の小学生もも少なくありません。
 自分自身のことを振り返りますと、6年生の1学期で、151cmだったことは記憶しています。父親には山や海に連れて行ってもらったり、キャッチボールしてもらったりしたことを思い出します。子煩悩な人でした。その父は、私が中学生になって二ヶ月後に亡くなりました。なんで?元気だったのに、みなさんに慕われていたのに、という理解できないことが頭の中で繰り返されていた日々だったように思います。
 私が成人してから、兄弟で話す機会があったとき、背の高さの話題になりました。私は、170cmは超えていたのですが、父の身長は155cmだったことに改めて驚きました。生きていて横に立ったら見下ろす差です。しかしながら、私にとっては父への目線は151cmの自分でしかなく数字は超えていても、中身は全く到達していません。いくら社会人になろうが、父親になろうが、父は超えられていない存在なのです。記憶の中では12年あまりの生活しか共にしていなかったのに、人を楽しませ、笑わせたり、教えたりすることが普通の人で、そして偉大なひとでした。
 具体的な言葉をもらった訳ではありませんが、人のために何かしなければ、仕事をしなければ、助けなければという後ろ姿を見てきたような気がします。
 親孝行の学園で教師として働く中で、児童に親孝行は・・・と話しますが、私には経験は全くありません。『親孝行したいときには親はなし』だからでしょうか。でも、生きていなくても、親に感謝したり偉大さを感じたりすることが大切であると感じています。児童に、この身長の話をしたことがあります。うまく伝わったかはわかりませんが、もらった言葉や引き継いだ体や心を正しくつないで、次の世代に伝えていくのも親への孝行になるのではないでしょうか。
 大正最後の15年に生まれた父は、実は昭和元年と同じなんだよ、と言ってました。平成31年生まれの人は、○○元年と同じですね。また、新しい時代の方々へ親孝行が伝わりますように。

(小学校 1年担任)

2018年11月22日

「子どもの味方でいること」

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 先月,中学高校大学と同じ学校に通った友人の結婚式に出席しました。彼女とは,同じバレー部の仲間として中高6年間苦楽をともにしたので,胸がいっぱいになりました。
披露宴では,新婦から両親に向けて手紙が読まれました。その手紙の中で印象深かった言葉があります。

「親はいつまでも子の味方だから。」

 私も母から同じ言葉をかけてもらったことがあります。何をしても上手くいかず,不安な気持ちで押しつぶされそうになり,母に弱音を吐きました。そのとき母は,「何があろうと,親はいつまでも子の味方。一緒に考えよう。」と言ってくれました。この言葉を聞いて,不安な気持ちが少しずつ安心に変わっていったのを覚えています。
 教育コンサルタントの多田淑恵さんは,長期的に見て良い方向に子どもを導くことこそが,本当の意味で「子どもの味方でいること」なのではないかとおっしゃっています。教師として子どもの話をじっくり聞き,いつでも「子どもの味方」でいたいと思います。

(小学校教諭 安田 裕香)

2018年11月16日

「自分より下の人間を大事にしなさい」

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 この言葉は,私が小学生のときに祖父が教えてくれました。いつ頃,どこで言われたのかは覚えていませんが,内容は鮮明に覚えています。
 祖父は,よく釣りに連れて行ってくれました。京都の鴨川で川魚を釣りに出かけるのです。生きた虫を針につける方法,魚の口から針を外す方法,最後は魚を逃がすことなど,たくさんのことを教えてくれました。
 「あそこに,魚が通る道が見えるやろ。その上(かみ)の方に浮きを落とすんや。」
 私には,その魚が通る道など全く見えません。よく目を凝らしてもよくわかりません。必死に魚が通りそうなところを探し,祖父が釣り糸を垂らす場所を目で追っていました。また,釣り糸が絡まっても辛抱強く黙ってほどいてくれたことを覚えています。決して怒ることなく,根気強く付き合ってくれました。
 戦争を経験した祖父の人生では,たくさんの苦労があったのだと思います。これからの人生で人を追い抜かしたり,人の上の立場に立ったりするかもしれないけれど,下の人間を大事にしなさい。
 祖父に大事にされた一人として,これまでもそしてこれからも大切にしたい言葉です。
(小学校教諭 井上 政嗣)

2018年11月09日

「我慢と辛抱」

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 私は小学校の頃から相撲をしていました。
高校の時の顧問の先生によく言われていた言葉が「我慢と辛抱」です。
 我慢も辛抱も,耐えるということは同じです。違うのは,何のために耐えるのかです。
我慢は,現状維持するため。つまり,マイナスなことが起きないためにすることです。我慢していれば,いずれ良いことがあると思えるので,耐えることができます。
 辛抱は,その先にある夢の実現,自己実現,成長のため。つまり,良いことを自分で起こすために耐えます。成長したければ,楽なことばかりではありません。それを自分の手で掴むために,耐える。それが辛抱です。
同じ「耐える」という事実が,「何のために」という意味付け次第で,我慢にもなり,辛抱にもなります。
 学生時代,この話を聞き,今までは我慢だったのだと気づかされました。目標を持つことで我慢は辛抱に変わります。何か目標を持って一日一日を大切に子ども達と向き合っていきたいと思います。

(小学校教諭 田村 翔平)

2018年11月02日

「命」

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 私の出産時には,数々の苦労がありました。私自身がとても元気だったので,元気な子が産まれてくると,当たり前のように思っていたのでしょう。お腹の中にいるときから,産まれたらこれをさせようなどと,子どもとの生活を楽しみにしていました。しかし,産まれてきた子どもに病気が見つかり,すぐに大きな病院に運ばれ,治療しなければいけなくなりました。危険な手術も経験しました。まだ3㎏もない小さい体に,多くの点滴の管がつながれ,見ているだけで辛い日々。私のできる事といえば,快復することを祈りながら,毎日病院に通う事だけでした。
 入院が4ヶ月程続いた頃,一時退院の許可が下りました。初めてのクリスマスをお家で迎えられると,その日が来るのを待ち焦がれていました。いよいよ一時退院の日,車の中でまた発作が起こり,すぐに病院に逆戻り。さすがに落ち込みました。院内のクリスマス会に呼んでもらった時も,「本来なら自分の家で迎えられただろうに。どうして,自分の子どもが。」という思いを抱え,浮かない顔をしていた私に,看護師さんは,「こうしてクリスマス会に出られるだけでも感謝しないといけないよ。生きているのは当たり前のことではないんだから。」と声をかけてくれました。
 病院には,様々な子どもたちがいました。私の子どものように,治療ができて治る子ばかりではありません。障害が残ってしまう子や,治療ができず命を落としてしまう子もいました。「生きていることは,当たり前のことではない。」私が今でも心に残っている言葉です。私の子どもは,無事に病気も治り,今は元気に学校に通っています。元気で生活していると,いつも通りに過ごせることを,つい普通に感じてしまいます。小さな成長に満足せず,「もっとこうして欲しい。」と多くのことを望んでしまったり,他の人と比べて劣っている面ばかりが目に入ってしまったりします。でも,健康に生きていることは,本当はとてもすごいことなんです。成長できることは,当たり前のことではないんです。命あることに感謝する心を忘れずに,過ごしていきたいと思います。

(小学校教諭 和田 智恵美)

2018年10月24日

総合発表会は最後の分水嶺

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 ここ一か月ほど学園講堂は毎日、どこかのクラスが総合発表会のリハーサルに使っています。時々、覗きに行きますが、初回のころは舞台での声も小さく、気もそぞろ、各自あちこちをキョロキョロし、集中力に欠けていました。「大丈夫かな?」と半分不安な気持ちで見ていました。先生方は「まだ始まったばかりですから。」と余裕あり気です。
20181023-1.jpg数日たち、また同じクラスのリハーサルです。今度は前回と見違えるようで、メリハリの利いた発声、テンポと出番がきっちりと合った演出、子どもたちは見事に演じ、高い集中を保っていました。
わずか10分くらいの演技でしたが、終了と同時に思わず拍手をしたい気分になりました。
客席から見ていると児童はもちろんですが、先生がまことに熱心に指導しています。「もっと大きな声で!」「そこ!キョロキョロしない!」など的確で厳しい指示を繰り出しています。職員室に帰り「児童よりも先生のほうが熱心ですね。」と6年生の担当の先生に問いました。するとこんな返事が返ってきました。
「総合発表会はクラス運営において極めて重要です。ここで失敗し、ほかのクラスよりうまくできなかった、ほかのクラスのほうがよかった、となると6年生の下期のクラス運営は大変、厳しくなります。クラスの結束力が弱まり、卒業が近づくにつれて、バラバラになってしまいます。一方、ほかのクラスも立派な演技だったが、自分たちの演技もそれに負けないくらい充実したものだった、と思えたクラスは最後までその結束力が続き、みんなが本当に素晴らしいクラスだったと思って卒業できます。その意味で総合発表会はクラス運営においては最後の分水嶺です。それを教師はみんな分かっているので真剣勝負で指導するのです。」   
 なるほど、総合発表会は単に児童による演技や作品の発表の場ではなく、まとまりのある素晴らしいクラスとしてその学年を終えるために、教員にとっても必ず成功させねばならない最も重要な催しだったのです。
 そんな思いの詰まった、総合発表会、いよいよ開幕です。子供たちだけではなく、教員の真剣な眼差し、所作もご覧になってください。
(小学校副校長 成地 勉)

2018年10月12日

リスクを抱えて、なお、挑戦へ

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 今年は台風が多く、もうすでに5個が上陸しています。しかも、大雨や暴風により各地に大きな災害をもたらしています。自然の猛威は本当に恐ろしいもので心して用心しないと命まで落としかねません。
 安全が最も優先することは言うまでもありません。しかし、「安全」金科玉条主義がまかり通って、それが当たり前になり、一見、煽るような報道姿勢や雨も降っていない時間帯からの計画運休等への批判は皆無です。
 恐ろしいのはこのことは何も台風についてだけではありません。我々の心の深層にリスクを回避することが第一優先、何をおいてもリスク回避、といったマインドが育っていないでしょうか?
 安全やリスク回避を理由にぎりぎりの判断やチャレンジすることがなおざりにされる方向に進んでいないでしょうか?
 新しい価値や自己肯定につながる自信はチャレンジがあってこそ育まれます。安全やリスクをぎりぎりのところで判断し、挑戦する勇気を養わなければ新しいものは生まれません。宇宙旅行や月面着陸は盲目的な安全やリスク回避最優先主義では生まれなかったのではないでしょうか?
 様々なリスクを判断し、結果、挑戦を断念する、あるいは挑戦する 、これはどちらもあると思います。要は自分の持てる能力をフル回転させ、ぎりぎりの判断ができたか否かです。何かの規準に従った盲目的な判断に頼っていては人は成長しません。
 ノーベル賞受賞の本庶先生ではないですが、今あるもの、過去からあるものを鵜呑みにしない勇気を大切にしたいと思います。そうして自ら考え判断し、挑戦する勇気を絶やさない人材を輩出する学園にしたいものです。
(小学校副校長 成地 勉)

2018年10月05日

オリーブの木

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 校庭の観覧席の東の端に1本のオリーブの木があります。総合発表会の頃に,小鳥たちの格好の餌になる,熟した実をつける木です。
20181005-3.jpg 私が雲雀丘に来て1年目,昭和58(1983)年の年度末に,香川の小豆島のYMCA余島キャンプ場に青少年育成リーダーの研修会に行かせてもらい,その帰りに,オリーブの若木を買ってきました。
 2年目,昭和59(1984)年のスタートの4月に「学校へのお土産で買ってきました。」と,当時主事だった仲谷清先生にお渡しすると,ちょうど,今のベル広場の西側に位置していた温室で一年間大きく育ててくださり,1年後の昭和60(1985)年,「君の記念樹だね,頑張りなさい。」と今の位置に植えてくださった木なのです。
 大学を卒業したばかりの新卒で,しかも見ず知らずの土地で,保護者の期待の多い私立の小学校の4年生のクラスを任されて,教師生活が始まりましたが,やることなすこと全くうまくいかずに,毎日毎日が空回りで失敗の連続でした。当時の36回生の4年月組の子ども達と保護者のみなさんには本当に申し訳がなかったという思いと,思い出す度に恥ずかしさで赤面の気持ちでいっぱいです。
 ご多分に漏れず,仲谷先生には,ことあるごとに『ご指導』を受けました。教員室でも,教室でも先生の足音が聞こえると緊張したものです。学級経営,教科の教材研究,教師としての立ち居振る舞いや言葉遣い,服装,髪型に至るまで,事の大小を問わず指摘されることが多く,最後には,「良くなる見込みがある人間だと思っているから叱るのだよ。」と褒めて(?)もらったりもしました。
20181005-2.jpg 未熟で生意気盛りの20代前半の頃から,愛情を持って厳しく私を育ててくださった仲谷先生は,この写真のように抜けるような青空の上からいつも雲雀丘を見守ってくださっているのでしよう。時には「昔とった杵柄を誇らしげにする教師は進歩しないよ。」などと諭すように仰っておられるかもしれません。時々聞こえるような気がします。
 33年前にこの丘の地に根付かせてもらったオリーブの木は,今年もたくさんの青い実をみのらせています。私も,まだまだオリーブに負けないように日々,精進していきたいと思っています。
(小学校 教頭 井口 光児)

2018年09月28日

「キャッチボール」

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キャッチボールとは不思議なもので,
人生においての人間力と同じなのだ。
まずは向き合うこと。
そして,相手に気を遣うこと。
そして,受け止めること。
野球においての基礎は,
人生においての基礎でもあるのだ。

私が野球から学び,つねに心がけていることです。
今回そんな思いから学級通信のタイトルにしました。
3年月組の子どもたちと向き合い,受け止める1年間にしようと思います。
 昨年の学級通信第1号に掲載した内容です。
 私は小学校3年生からソフトボールチームに入り、大学を卒業するまで野球を続けてきました。良き友と出会えたり、我慢することを覚えたり、挨拶する大切さを学んだり、本当にたくさんのことを野球を通して得ることできました。
 今、嬉しいことに息子が少年野球チームに所属しています。私が大好きな野球を選んでくれた息子は、最高の親孝行をしてくれていると感じています。息子には、野球を通して「人生においての人間力」を学んでくれたらと願っています。
(小学校 入試対策副主任 今井 徹)