2018年10月12日

リスクを抱えて、なお、挑戦へ

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 今年は台風が多く、もうすでに5個が上陸しています。しかも、大雨や暴風により各地に大きな災害をもたらしています。自然の猛威は本当に恐ろしいもので心して用心しないと命まで落としかねません。
 安全が最も優先することは言うまでもありません。しかし、「安全」金科玉条主義がまかり通って、それが当たり前になり、一見、煽るような報道姿勢や雨も降っていない時間帯からの計画運休等への批判は皆無です。
 恐ろしいのはこのことは何も台風についてだけではありません。我々の心の深層にリスクを回避することが第一優先、何をおいてもリスク回避、といったマインドが育っていないでしょうか?
 安全やリスク回避を理由にぎりぎりの判断やチャレンジすることがなおざりにされる方向に進んでいないでしょうか?
 新しい価値や自己肯定につながる自信はチャレンジがあってこそ育まれます。安全やリスクをぎりぎりのところで判断し、挑戦する勇気を養わなければ新しいものは生まれません。宇宙旅行や月面着陸は盲目的な安全やリスク回避最優先主義では生まれなかったのではないでしょうか?
 様々なリスクを判断し、結果、挑戦を断念する、あるいは挑戦する 、これはどちらもあると思います。要は自分の持てる能力をフル回転させ、ぎりぎりの判断ができたか否かです。何かの規準に従った盲目的な判断に頼っていては人は成長しません。
 ノーベル賞受賞の本庶先生ではないですが、今あるもの、過去からあるものを鵜呑みにしない勇気を大切にしたいと思います。そうして自ら考え判断し、挑戦する勇気を絶やさない人材を輩出する学園にしたいものです。
(小学校副校長 成地 勉)

2018年10月05日

オリーブの木

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 校庭の観覧席の東の端に1本のオリーブの木があります。総合発表会の頃に,小鳥たちの格好の餌になる,熟した実をつける木です。
20181005-3.jpg 私が雲雀丘に来て1年目,昭和58(1983)年の年度末に,香川の小豆島のYMCA余島キャンプ場に青少年育成リーダーの研修会に行かせてもらい,その帰りに,オリーブの若木を買ってきました。
 2年目,昭和59(1984)年のスタートの4月に「学校へのお土産で買ってきました。」と,当時主事だった仲谷清先生にお渡しすると,ちょうど,今のベル広場の西側に位置していた温室で一年間大きく育ててくださり,1年後の昭和60(1985)年,「君の記念樹だね,頑張りなさい。」と今の位置に植えてくださった木なのです。
 大学を卒業したばかりの新卒で,しかも見ず知らずの土地で,保護者の期待の多い私立の小学校の4年生のクラスを任されて,教師生活が始まりましたが,やることなすこと全くうまくいかずに,毎日毎日が空回りで失敗の連続でした。当時の36回生の4年月組の子ども達と保護者のみなさんには本当に申し訳がなかったという思いと,思い出す度に恥ずかしさで赤面の気持ちでいっぱいです。
 ご多分に漏れず,仲谷先生には,ことあるごとに『ご指導』を受けました。教員室でも,教室でも先生の足音が聞こえると緊張したものです。学級経営,教科の教材研究,教師としての立ち居振る舞いや言葉遣い,服装,髪型に至るまで,事の大小を問わず指摘されることが多く,最後には,「良くなる見込みがある人間だと思っているから叱るのだよ。」と褒めて(?)もらったりもしました。
20181005-2.jpg 未熟で生意気盛りの20代前半の頃から,愛情を持って厳しく私を育ててくださった仲谷先生は,この写真のように抜けるような青空の上からいつも雲雀丘を見守ってくださっているのでしよう。時には「昔とった杵柄を誇らしげにする教師は進歩しないよ。」などと諭すように仰っておられるかもしれません。時々聞こえるような気がします。
 33年前にこの丘の地に根付かせてもらったオリーブの木は,今年もたくさんの青い実をみのらせています。私も,まだまだオリーブに負けないように日々,精進していきたいと思っています。
(小学校 教頭 井口 光児)

2018年09月28日

「キャッチボール」

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キャッチボールとは不思議なもので,
人生においての人間力と同じなのだ。
まずは向き合うこと。
そして,相手に気を遣うこと。
そして,受け止めること。
野球においての基礎は,
人生においての基礎でもあるのだ。

私が野球から学び,つねに心がけていることです。
今回そんな思いから学級通信のタイトルにしました。
3年月組の子どもたちと向き合い,受け止める1年間にしようと思います。
 昨年の学級通信第1号に掲載した内容です。
 私は小学校3年生からソフトボールチームに入り、大学を卒業するまで野球を続けてきました。良き友と出会えたり、我慢することを覚えたり、挨拶する大切さを学んだり、本当にたくさんのことを野球を通して得ることできました。
 今、嬉しいことに息子が少年野球チームに所属しています。私が大好きな野球を選んでくれた息子は、最高の親孝行をしてくれていると感じています。息子には、野球を通して「人生においての人間力」を学んでくれたらと願っています。
(小学校 入試対策副主任 今井 徹)

2018年09月21日

「光芒」

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 先週末,長居スタジアムで行われたB'zのコンサートに行ってきました。私は中学1年生の頃から彼らのファンで,色々なことを思い出しながら,歌って踊って楽しい時間を過ごしました。
 特にボーカルの稲葉さんは私にとっての憧れで,これまでの人生に数え切れないほどの影響を与えられてきた,まさに人生の「師」といえる存在です。同じ教師を目指して,同じ大学に進学したことにもその影響が表れているのかもしれません。では,稲葉さんの何がそんなに魅力的に映るのか。見た目や歌唱力はもちろんですが,何といってもそのストイックさ,謙虚さなどの人間性は見習うべきところが多いです。
 ここで,そんな稲葉さんの人間性が垣間見える歌詞をご紹介したいと思います。今回のコンサートでも歌われていた「光芒」という歌の歌詞の一部です。
光を求め 歩き続ける
君の情熱がいつの日か
誰かにとっての 光となるでしょう
誰かにとっての 兆しとなるでしょう
 この歌詞は,彼らが追い込まれたり,壁にぶつかったりしてなかなか前に進めないときに書かれたそうです。
 何のために努力しているか分からなくなったり,上手くいかない,どうにもならないような状況に陥ったりすることは誰にでもある。そんな中,何とかしようと必死になっている自分の姿を他の人が見たときに,その必死な姿が格好悪いと馬鹿にする人もいるかもしれない。でも,もしかしたらその姿を見てちょっと感動して,希望の光みたいなものを感じてくれる人が1人くらいはいるかもしれない。もし結局誰も見ていなかったとしても,未来の自分が見ていると思えばいいじゃないか。そんな思いが込められた歌詞だそうです。
 自分自身も人として教師として,周りにいる人にとっての“光芒”になれるように努力し続けていかなければと思います。
(小学校教諭 相馬 章隆)

2018年09月14日

「好奇心を育むために」

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 私が小学生の頃,部屋の本棚には「図鑑」が並んでいました。お気に入りは『自動車・船』。引っ張り出してきては,勉強もそっちのけで飽きずに眺めていました。ページの前半は写真や緻密なイラスト,後半には解説があり,今でも内容を思い出すことができるほどです。…そういえば,図鑑は硬い紙のケースに入っていましたが,私はそれを捨てようとして母に叱られたことがありました。度々見るので,その都度,紙ケースに戻すのが面倒だったからです。今となっては恥ずかしいお話です。
 さて,昨今は出版業界が不振だと聞きます。若者による活字離れ,スマホやタブレット等の普及,新古書店の利用などが原因にあるようですが,そのような中で,幼児・児童向けの図鑑の売り上げは伸びているようです。以前は『動物』『魚』などの種類別の図鑑が主流でしたが,最近は『くらべる図鑑』『さわって学べる算数図鑑』など,企画性が重要であるようです。これらは,新型図鑑と呼ばれています。
 自分が興味ある対象への知識を与えてくれる図鑑は,知的好奇心を大いにくすぐる書籍です。とくに好奇心が旺盛な小学生には,図鑑はいつの時代もベストセラーになるのでしょう。漫画家の手塚治虫氏は,「好奇心というのは道草でもあるわけです。たしかに時間の無駄ですが,必ず自分の糧になる」と言いました。好奇心が自分の趣味になったり,生涯の仕事に結びついたりすることもあります。子どもたちには,好奇心に没頭する時間を大いに持ってほしいものです。そのときに,そばに図鑑があり,開くことができるといいですね。
 ちなみに,最近の図鑑は紙ケースに入っていないようです。
 
(小学校 研究部主任・3年主任 神吉 清視)

2018年09月07日

「什(じゅう)の掟~ならぬことはならぬ~」

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 “ならぬことはならぬ”という「什の掟」の最後のくだりをご存知でしょうか。数年前,ベストセラーになった『国家の品格(藤原 正彦 著書)』においても紹介され,注目されたことばです。


 夏休み中のある研修会で,什の掟と会津藩の取り組みについて話を聴く機会がありました。
 会津藩士の子弟は,町ごとに十人前後のグループを作っていました。
この集まりを什と呼んだそうです。会津藩では,十歳になると藩校である日新館に通います。六歳から九歳の子弟が集まる什は,日新館に入学する前に会津武士の心構えを身に付けさせるための場だったのです。什の時期である六歳から九歳は,小学校低学年の時期と重なります。私なりに少し調べてみると,その取り組みは小学校段階の生活指導に関して,多くの示唆を与えてくれています。
 例えば,ルールやきまりを明確化し共有すること,日々の生活の中で実践し自己評価すること,ルールやきまりに違反した者に対しては事実を確認し理由を問いただした上で罰が与えられること,意図的に異年齢交流が取り入れられていること,子ども同士で自治的に行っていること,などです。

 規範意識を育成するために,全ての児童に対して“ならぬことはならぬ”として基本的なルールやきまりを教えることは,とても大事なことだと思います。そして,個々の児童が抱えている事情や背景に留意して馴染めない児童に対しては,個別に対応したり丁寧にケアしたりすることも必要です。その対応やケアが学校だけでは不十分ならば,家庭と連携したり関係機関の力を活用したりして指導にあたることも必要でしょう。このように,集団の中の個という視点に立った指導と個あっての集団という視点に立った指導のバランスが,生活指導には必要だと考えています。
(小学校 生活指導主任・人権教育主担 打村 孝志)

2018年08月31日

「解凍」

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 新しい広報活動,教務システムの導入,アフタースクールの充実など,小学校でもいくつかの大きな改革が進んでいます。
 改革といえば,かつてクルト・レヴィンという社会心理学者が(解凍-変革-再凍結)という三段階モデルを提唱しました。このモデルで大切なのは,最初に「解凍」というステップがあることです。これは変革に関わるすべてのメンバーがこれまで慣れ親しんできたものと訣別する段階です。改革に取りかかる前にまずはみんなが新しいシステム導入の意義を理解し,改革の苦労を乗り越える意思統一をするのです。ある種の改革ではスピード最優先ということもあるでしょう。しかし,性急すぎたためにメンバーが疑問や不満を持ちながら進む改革はいつまでも定着せず,気づけば以前のやり方に戻っているといったことになりがちです。そのために今の自分と別れる段階が必要になるのです。
 私も常に自身を「解凍」しながら進んでいければと思っています。
(小学校入試対策主任・6年主任 岸本 光史)

2018年08月24日

「やってみなはれ精神」と「思いの深さ」

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私の中学生の頃の話です。毎年新学期になると、気分も新たに「さあー 新しい学年が始まった。これから勉強するぞ!」と、意気揚々と近所の本屋さんに主要な教科の参考書や問題集を買いに行きました。しかしながら、買った参考書や問題集が開かれるのは最初の数ページだけ、ほとんど日の目を見ず、ほぼ新品のままの状態でお蔵入りをしていました。恥ずかしながら私にはこの手の話は今も、枚挙にいとまがありません。つい最近も、「これや!」と思い、「どんなに体がかたい人でも、4週間でベターッと開脚できるようになるすごい方法」という本を買いましたが、ぱらぱらっと目を通しただけで、私の体はカチカチのままです。

そんな私だからこそ非常に共感を覚える言葉があります。「思いの種を撒いて、行動を刈り取り、行動の種を撒いて、習慣を刈り取る。習慣の種を撒いて、人格を刈り取り、人格の種を撒いて、人生を刈り取る。」というものです。
思い立って行動したが長続きしなかったという経験は誰にもあると思いますが、その思いを実現する方法はまさに行動の習慣化でしょう。そしてその習慣化への原動力は、間違いなく思いの深さです。

初代理事長の鳥井信治郎は、明治生まれの人ですが、今でいうベンチャースピリットの権化のような人でした。思い立ったらすぐ行動し、数々の事業を手掛けました。特にウイスキー事業への思いが強く、幾多の困難を乗り越え、日本にウイスキー文化を定着させましたが、その成功の裏には、「やってみなはれ」という旺盛なチャレンジ精神に加え、ウイスキー事業を絶対成功させたいとの強烈な思いがあったからでしょう。

また、雲雀丘学園の2代目理事長の佐治敬三(鳥井信治郎の次男)は名経営者としても有名でしたが、その逸話に、新規事業の決裁を取りに来た社員に、あらゆる角度から何度も質問をしたそうです。その質問に自信なく曖昧な答えをした場合は、決裁をしなかったと聞きます。様々な質問を投げ掛けることで、その社員の事業に対する思いの深さを計っていたのでしょう。

将来を担う子どもたちに、不可能を可能に変える二つのキーワード、「やってみなはれ精神」と「思いの深さ」を贈りたいと思います。そして私にも。

中山台幼稚園園長 長岡 伸幸

2018年08月20日

「お墓参り」

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暑い夏に必ず思い出すのは子どもの頃のお墓参りのことです。
私の父は大正10年、六甲山の山々の狭い谷あいの村の農家の三男として生まれました。その生家のお墓は車では通れない山道をどんどんと登って行った先の小高い森の中にありました。途中のお寺で水を汲ませていただき、溢さないようにゆっくりと歩いていくのですが、真上から陽が照りつける下を汗だくだくになって登っていくのでした。脇の水路の流れがわずかに涼しげでした。「ここはお祖父さんお祖母さんのお墓だ。次はお祖父さんの出た家のお墓、次は…」とあちらこちらと回るお参りする順番も決まっていました。最後はお地蔵様に水をかけ、お線香をあげて手を合わせました。山を下りてからは同じ年頃の従弟・従妹たちと園側に腰かけて、井戸で冷やしたスイカや瓜をガツガツと頂くのが楽しみでした。私が生まれるずっとずっと昔から、先祖代々、毎年毎年必ず欠かすことなくやってきたお墓参りです。勉強やクラブ活動が大事なことは百も承知のうえでしたが、「お墓参りは最優先」というのが我が家の決まりとなっていたのです。そして毎年のこの行事について、父はそれはもう大変満足そうなのでした。
今はもう35歳になる息子が私に必ず聞いてきます。「今年は何日にお墓参りに行くの?」彼は九州に住んでいますので「遠いから気持ちだけで良いよ」と答えるのですが、幼稚園・小学校の孫2人とお嫁さんを連れて必ず帰ってきます。こうやって大事なことは継いでいかれるのだなあとしみじみ思う酷暑の夏です。

(雲雀丘学園幼稚園園長 平尾聡)

2018年08月10日

「学問をなさい」

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 五十年程前の、小学生の頃です。いつもと違う先生が来られて、講話をされました。
「不思議に思うこと、もっと知りたいと思うことを追い続けていくと、それが学問につながります。ごまかして○をもらっても、自分の知りたいという心は満足できません。だから正直になります。思いもよらないことを発見した人がいたということを知ると、尊敬の念がわきます。自分は何も知らないということに気づくと、謙虚になります。だから、学問をなさい。」何年も経って、折に触れて、これは先生のおっしゃったことと同じだと思いあたる場面が何度もありました。上の言葉も、そのたびに記憶が書き換えられて、正確ではないかも知れません。それでも、反芻するうちに育つ「種」のようなものが先生のお話の中にはありました。遠い記憶の中の、西日のあたる教室で小学生を相手に静かに学問を語る先生。1960年代後半のお話です。

(中学校・高等学校 教頭 深川久)