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2018年05月25日

言葉の力

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セルフレームの眼鏡をかけた優しい由良先生、毎日ランニングをしていた長谷川先生、すごく個性的だった林先生、卒論を指導していただいた西埜先生、と印象に残っている先生はたくさん思い浮かびますが、恩師の印象に残っている一言はどうしても思い浮かびません。逆に、私が雲雀丘学園に赴任してから次のようなことを言われたことがありました。「中1の時、先生に言われた言葉に発奮したお陰で、希望の薬学部に合格できました」、20180525-1.jpg「先生はいつも学年集会で、『自由と勝手は違う』、と言っていましたよ」などです。私自身は記憶になかったり、そんな言葉を言ったかなあという感じでした。何気なく発した言葉が、相手にとっては影響力の強いもの、印象深いものになるという、「言葉の力」に何度もハッとさせられました。使い方を誤ると、相手の心に傷をつける諸刃の剣でもあります。一度言った言葉をリセットすることはできません。これからも自分の言葉には責任をもって、生徒との会話を楽しんでいきます。
(中高校 教頭補佐、生徒指導部長 野村勝)

2018年05月18日

とっくんの一言

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「先生は子供の頃から運動は得意だったんでしょうね」と私はよく言われます。しかし実際は、小学4年生で始めた剣道は二週間で脱落、5年生になって野球部に入り2年間続いたものの練習になじめず二軍の補欠、学校生活では、先生から雷を落とされるときだけ、中心生徒・・・

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後列右から2番目が徳尾野先生、前列右端が私
(報徳学園高校時)



 そんな私が中学生になって柔道部に入部しました。基本練習をしていると、先生が「お前はすごい奴や。面構えもいい。強くなるぞ!」と言われました。これまで、先生はもちろん親にも褒められたことがない私が、初めて人に褒められ期待されたのです。嬉しさと「この先生の前では、無様な自分を見せられないぞ」という思いが湧き上がりました。投げる、絞める、関節を捕る、柔道はルールのある喧嘩です。中高生レベルの試合では、相手を見てビビった(臆した)方が負けです。私は、ド根性魂で試合に臨みました。人間は、本来単純なもので、一つ褒められるともう一つとなります。学校生活・学習面でも積極的になりました。10年後、雲雀丘学園の柔道の教師として教鞭を執り、これまで多くの生徒・友人と素晴らしい出会いがあったのも、あの一言で奮起できたからです。とっくん(部員の呼び名)、徳尾野信夫先生ありがとうございました!
(中高教諭 平太義教)

2018年05月11日

本当の親孝行は「命を大切にする」こと

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 今から8年前、私はケガをして2か月間入院をしました。警察のヘリと救急車で搬送され、入院したのは長野県の病院です。診断の結果、頚椎骨折、腰椎破裂骨折という重傷でした。意識もとぎれとぎれで、家族には「覚悟をしておくように」と医師から伝えられたようです。
20180511-1.jpg 無事に手術を終え、意識が戻った時、まず「手足を動かすことができるか」ということが一番気がかりでした。幸い、背骨や首の骨が折れているにもかかわらず、無事に動かすことができました。それから、完全に首を固定された状態での入院生活が始まりました。
 家族は遠いところ足繁く長野県まで通ってくれました。また、当時の校長先生だった岩﨑優先生も、遠い長野まで足を運んでくださいました。この時ほどうれしかったことはありません。突然、新学期から音楽の先生が休むことになったのですから、学校の方は大変だったと思います。それにもかかわらず、かけていただいた「学校の方は心配しなくてもいいから…」という優しい言葉に涙が出てしまいました。大変迷惑をかけてしまったこと、今でも申し訳なく思っています。それから、上を向いたままで食事もうまく取れない私を、毎日献身的に介護してくれた看護師さん。いくら仕事であるからと言っても、これほどまでに患者さんに誠心誠意尽くしてくれるその姿に感動しました。小学校の先生も、連休を利用して、飛行機で来てくださいました。これも大変うれしかったです。本当にたくさんの方にお世話になりました。毎日、感謝!感謝!の入院生活でした。しかし、このケガで、一番心配してくれていたのは、私の両親でした。高齢である両親は、長野県までは来ることができなかったので、6月に退院するまでは顔を合わすことはできませんでした。しかし、何歳になっても、一番心配なのは、やはり子どものことのようで、母は今でも「あの時は生きた心地がしなかった」といいます。その後他界した父も、心配で夜も眠れなかったと言っていました。この時、本当の親孝行は「命を大切にする」ことだということに気づかされました。
 たくさんの人にお世話になったことで、「人はたくさんの人に生かされている」ということ、「自分だけで生きているのではない」ということを実感しました。また、「命というのは、一瞬で消えてしまうこともある」ということ。生と死の境目を見たことによって、その後の自分の人生を変える貴重な体験でした。
 「このいのちにありがとう」(「いのちの歌」Miyabi作詞より)
(小学校教諭 岡村圭一郎)