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2018年11月16日

「自分より下の人間を大事にしなさい」

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 この言葉は,私が小学生のときに祖父が教えてくれました。いつ頃,どこで言われたのかは覚えていませんが,内容は鮮明に覚えています。
 祖父は,よく釣りに連れて行ってくれました。京都の鴨川で川魚を釣りに出かけるのです。生きた虫を針につける方法,魚の口から針を外す方法,最後は魚を逃がすことなど,たくさんのことを教えてくれました。
 「あそこに,魚が通る道が見えるやろ。その上(かみ)の方に浮きを落とすんや。」
 私には,その魚が通る道など全く見えません。よく目を凝らしてもよくわかりません。必死に魚が通りそうなところを探し,祖父が釣り糸を垂らす場所を目で追っていました。また,釣り糸が絡まっても辛抱強く黙ってほどいてくれたことを覚えています。決して怒ることなく,根気強く付き合ってくれました。
 戦争を経験した祖父の人生では,たくさんの苦労があったのだと思います。これからの人生で人を追い抜かしたり,人の上の立場に立ったりするかもしれないけれど,下の人間を大事にしなさい。
 祖父に大事にされた一人として,これまでもそしてこれからも大切にしたい言葉です。
(小学校教諭 井上 政嗣)

2018年11月09日

「我慢と辛抱」

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 私は小学校の頃から相撲をしていました。
高校の時の顧問の先生によく言われていた言葉が「我慢と辛抱」です。
 我慢も辛抱も,耐えるということは同じです。違うのは,何のために耐えるのかです。
我慢は,現状維持するため。つまり,マイナスなことが起きないためにすることです。我慢していれば,いずれ良いことがあると思えるので,耐えることができます。
 辛抱は,その先にある夢の実現,自己実現,成長のため。つまり,良いことを自分で起こすために耐えます。成長したければ,楽なことばかりではありません。それを自分の手で掴むために,耐える。それが辛抱です。
同じ「耐える」という事実が,「何のために」という意味付け次第で,我慢にもなり,辛抱にもなります。
 学生時代,この話を聞き,今までは我慢だったのだと気づかされました。目標を持つことで我慢は辛抱に変わります。何か目標を持って一日一日を大切に子ども達と向き合っていきたいと思います。

(小学校教諭 田村 翔平)

2018年11月02日

「命」

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 私の出産時には,数々の苦労がありました。私自身がとても元気だったので,元気な子が産まれてくると,当たり前のように思っていたのでしょう。お腹の中にいるときから,産まれたらこれをさせようなどと,子どもとの生活を楽しみにしていました。しかし,産まれてきた子どもに病気が見つかり,すぐに大きな病院に運ばれ,治療しなければいけなくなりました。危険な手術も経験しました。まだ3㎏もない小さい体に,多くの点滴の管がつながれ,見ているだけで辛い日々。私のできる事といえば,快復することを祈りながら,毎日病院に通う事だけでした。
 入院が4ヶ月程続いた頃,一時退院の許可が下りました。初めてのクリスマスをお家で迎えられると,その日が来るのを待ち焦がれていました。いよいよ一時退院の日,車の中でまた発作が起こり,すぐに病院に逆戻り。さすがに落ち込みました。院内のクリスマス会に呼んでもらった時も,「本来なら自分の家で迎えられただろうに。どうして,自分の子どもが。」という思いを抱え,浮かない顔をしていた私に,看護師さんは,「こうしてクリスマス会に出られるだけでも感謝しないといけないよ。生きているのは当たり前のことではないんだから。」と声をかけてくれました。
 病院には,様々な子どもたちがいました。私の子どものように,治療ができて治る子ばかりではありません。障害が残ってしまう子や,治療ができず命を落としてしまう子もいました。「生きていることは,当たり前のことではない。」私が今でも心に残っている言葉です。私の子どもは,無事に病気も治り,今は元気に学校に通っています。元気で生活していると,いつも通りに過ごせることを,つい普通に感じてしまいます。小さな成長に満足せず,「もっとこうして欲しい。」と多くのことを望んでしまったり,他の人と比べて劣っている面ばかりが目に入ってしまったりします。でも,健康に生きていることは,本当はとてもすごいことなんです。成長できることは,当たり前のことではないんです。命あることに感謝する心を忘れずに,過ごしていきたいと思います。

(小学校教諭 和田 智恵美)