雲雀丘学園ホームページ学園長便り世界へはばたくIT時代を生き抜く親孝行・やってみなはれことばの扉
 

«往復書簡⑥「『天に生かされたと思った瞬間』大森先生からの返信」 | メイン | 往復書簡④「『前任校の皆様にもっと感謝の言葉をお伝えすべきだった』大森先生の返信」»

往復書簡⑤「『使命感に燃える』大森先生への返信」

~雲雀丘学園常務理事・学園長 岡村美孝~

20170609.jpg
大森先生へ
お手紙拝見しました。いろいろな人間関係の中で悩まれ、人に言えない葛藤の中で新天地を選ばれたのだと思います。もっともっと言いたいことはあるのでしょうがこれ以上は自己弁護になると思われているのですね。雲雀丘への転勤がどうだったのかはずっと先の判断になるのでしょうか。

「常務理事は会社を辞めたいと思ったことはありますか」という質問でしたが私は思ったことはありませんでした。しかし苦しいことは何度もありました。どうしようもない時がありそんな時は一人、死んだ母親に手を合わせ助けてくれとお願いしたこともあります。好きで選んだ道ですが苦労したのはとにかくビールが売れないことでした。そのビールに明るさが見えたのが2008年、私が入社したのが1973年ですから35年間は赤字経営の事業に命懸けの戦いをしていたのです。ウイスキーはと言えば入社後10年は驚くほど売れました。しかし1983年から売れ行きが下降しました。二つとも悪いのですから会社としては非常事態です。
20190820-2.jpg
          ビール4社のシェアの推移(日本経済新聞記事より)

この状況を打開すべく、会社は日本一の繁華街、銀座に銀座支店を設立しました。初代の支店長には私が選ばれました。銀座にも焼酎の波は押し寄せウイスキーは食われていき、またニッカウヰスキーが伸長するという時代背景もありました。ビールに至ってはアサヒビールがスーパードライで怒涛の進撃をし、まさに四面楚歌、どうしようもない状況に立たされたのです。

そんな中掲げた目標が「月間300回訪」でした。とにかくお得意先、銀座支店の場合は飲食店やクラブ、スナックを徹底して訪問し、サントリー製品を置いてもらおうということです。マーケティング用語で言うと「顧客接点を増やす」ということになります。300回の訪問というのは週に5日働くとして月間20日、1日にすると15店の飲食店を毎日訪問するというものです。昼は昼でお酒屋さんや問屋さんを回りますので、夕方から深夜の訪問でこの数字を達成するのです。とんでもない目標です。

しかし嫌になったことは一度もありませんでした。責任者として先頭に立ちました。メンバーも銀座を我々の手で何とかするんだと使命感に燃えていました。一般に会社や職場が嫌になるのは、人間関係が多いと言われます。本来、仕事というのは明確な目標を持ち、みんなが等しく労苦を分かち合い、成果も等しく配分するなら楽しいものです。雲雀でもこの気概は持ち続けたいと思っています。

ところで大森先生は大学院時代に富士山登山で特異な経験をされています。これで天命を知り教員になるわけですがその話も聴かせてください。
(2019.8.20)

.
.. ...
....