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2019年09月27日

「彼岸明け」

~雲雀丘学園常務理事・学園長 岡村美孝~

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彼岸を昨日終えた今朝(9/27)は少し蒸し暑く感じました。正門で警備員さんが空を見上げながら「今日は午後3時から雨が降りますよ」と話してくれました。この方の天気予報は実によく当たります。雲雀丘学園の警備員さんの子供たちへの接し方は日本一だと思っていますが天気予報もNHKよりよく当たると思っています。

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朝の登校では小学校の児童会の役員が挨拶に立ってくれました。聞くと今日が最後の立ち番だそうです。半年間本当によく頑張ってくれました。思わず私と校長先生は最後の日の記念写真を撮らせていただきました。君たちは登校してくる生徒や児童に一番大きな声で「おはようございます!」の声を掛けました。あっぱれ!

この他にも自ら登校挨拶を買って出て元気に専用通路に立つ5年生の児童もいます。また昨年来、正門からの通路を掃除してくれる児童も元気いっぱい。協力して掃除をする児童の数も増えました。こうして雲雀の朝はあいさつの元気な声と笑顔が飛び交い、私も元気をいただいて職場に戻ることができます。

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            (地鎮祭)                  (小学校南館完成予想図)

昨日は「小学校南館」建設の地鎮祭が催されました。これは創立70周年記念事業の一環として、同窓会の建物を取り壊して跡地に建設されるもので、この建物には同窓会の他、プログラミング教室、学童保育のTKCも移転します。来年2月に竣工予定、日当たりもよく、新しい教室で一生懸命勉強していただきたいと思います。

明日(9/28)はいよいよラグビーワールドカップの対アイルランド戦です。開幕戦3トライの松島選手も先発出場が発表されました。松島選手はサントリーの所属です。このほかにも流選手、中村選手、いづれもサントリー所属で先発出場です。中高の先生からこの話をぜひ知らせてくださいとの要望をいただいたので書かせていただきました。

(2019.9.27)

2019年09月24日

「試されているなあ」

~雲雀丘学園常務理事・学園長 岡村美孝~

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「暑さ寒さも彼岸まで」。厳しい残暑もようやく峠をこしました。しばらくはこの心地よい季節が続くことを願いたいと思います。そんななか大森先生から、往復書簡のお礼の手紙がありました。
原文のまま掲載させていただきます。

常務理事
学園長
  岡村美孝様
 今回までの何通もの書簡、大変お世話になりました。
常務理事に、うまくつないでいただいたり、素晴らしい小見出しをつけていただき、本当にありがとうございました。
私のつまらない文に、長々とお付き合いいただき、誠に恐縮しています。
季節の変わり目ですので、お体をご自愛の上、学園のますますのご発展をお祈り申し上げます。
 
日々生じる様々な難題に、試されているなあって思いながら、どれだけのことができるかわかりませんが、腐らず、適当に楽しみながらやっています。
いずれの学校の先生も生徒も、皆、よくなりたいと思っている人たちばかりだと思いました。ただ、早くよい結果を出したいと思って、一番大事にしなければならない凡事や思いやりが欠けて、つまらぬことで諍い、妬み、不平不満を言って、せっかくの幸運になるチャンスを逃しているように思いました。
 今は、生徒もですが、東洋大姫路の先生をハゲましています。益々、薄くなってきたように思います。                       大森茂樹


頂いた手紙で心を打たれたのは「試されているなあ」でした。生きていく毎日はいいことばかりでありません。いやなこと、うまくいかないこと、厳しいことがたくさんあります。その時にどう対応するかでその人の真価が問われます。本性が出てきます。私などは瞬間湯沸かし器ですぐにカーッとなります。反省しきりです。あらためて「試されているなあ」を胸に刻みました。

そして、周りの方をしっかりとハゲましてください。私が校長をしていた時でした。学校説明会の時、私は壇上から「学園には皆さんを大いにハゲます有名な大森教頭先生がいらっしゃいます」と紹介したところ、あとの保護者アンケートに「冗談とはいえ身体的なことを話すのは如何か」と。その通りなのですが、この件、事前に大森先生と合意・了解・賛同の上、実行したことはご理解いただきたいと思います。

ブログの締めにお許しいただき、つまらない句をご紹介します。
「世の中は澄むと濁るの違いにてハケに毛があり、ハゲに毛がなし」。

(2019.9.24)

2019年09月19日

「改革・挑戦は避けられず」

~雲雀丘学園常務理事・学園長 岡村美孝~

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「大森先生との往復書簡」は前回の学園長便りで一応終了しました。いかがだったでしょうか。自分のブログでこんなことをやってみたい、いわば私の挑戦でしたので終わって安堵しています。大森先生にはご多用なときにいろいろご注文を付けました。気持ちよく対応していただき心からお礼申し上げます。

私の友人ですが、往復書簡を読んで改めて孫の教育について息子と話し合ったとのことでした。長い書簡を丁寧に読みこみ、真剣に意見を述べてくれたのには驚きと感謝です。

読者にはいろいろご意見、ご異見もあろうと思います。どうぞ遠慮なくお聞かせ願えればありがたいと思います。

いつも同じようなことを言って恐縮ですが、世の中が大きく変化する中では我々自身も学園も変わっていかねばなりません。同じポジションにいたいのなら全力で変えていく、つまり改革・挑戦して行くことは避けて通れません。

往復書簡を通じ思ったことは中尾元校長の改革です。よくぞ挑戦してくれた、あなたの示した方向は間違いありませんでしたよ、と伝えたいと思います。中尾元校長の改革が雲雀丘の穏やかな校風をこわし、ぎすぎすしたものになるという意見がありました。今私は今年の保護者アンケートを読んでいますが、高1男子の保護者から「学校の雰囲気が少しずつ進路重視に偏ってきている気がします。高偏差値の進路が増えるのはいいですが貴校を希望した当時ののんびりとした雰囲気が減ってきているのが少し残念です」との声があります。

多くの方のご意見ではありませんが、私はこのご指摘は心しておくべきだと思います。雲雀の良さは穏やかで、家族的で子供たちは素直で伸び伸びと楽しい学園生活を送っているというのが伝統でした。これは守り受け継いで行かねばなりません。学園長方針でも強調しているのは「人間力」であり、これこそがこれからの時代を生きていくにあたって最大の武器になると謳っています。

「人間力」と「偏差値」という単純な図式にはなりませんが私は何も対立する概念ではなく「人間力」が育っていくなら「偏差値」も上昇するのだととらえたいと思います。ここが学園の知恵の出しどころ、腕の見せどころです。両方は無理ではなく二兎を追うのです。

(2019.9.19)

2019年09月13日

往復書簡⑬「皆の協力で勝ち得た改革」大森先生から

~雲雀丘学園常務理事・学園長 岡村美孝~

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常務理事、お手紙ありがとうございました。物事を変えていくこと、つまり改革は大変な作業なんですね。確かに過去の延長線上で考えてもそれは改革にはならない。ブレイクスルーしないと変わらない。それには変わるまであきらめない、言い続けるというしつこさが不可欠だということを佐治会長は態度で示されたのだと理解します。

それでは私が学園に来た頃の様子、どのようにして改革が進んでいったのかを書いてみたいと思います。少し長くなりますがお許しください。

<難関大を目指す選抜特進コースの設置と意識改革>
私が雲雀丘学園中学・高等学校に赴任した時は、中尾校長先生が学校を大きく変革してこられた第一段階の最終コーナーに入ったときではないかと思います。国際科をなくして、代わりに難関大学を目指す選抜特進コースを設け、その高校入学生が高校3年生になった年に着任しました。私が授業を担当したのは、選抜特進ではなく、特進コースの生徒達で、国公立を目指す生徒はほんのわずかで、ほとんどが私立大学を目指し、生物の試験は覚えれば済むものと思っていたようです。指定校推薦を得るには定期考査で高得点を取り評定を高くすればよいとの考えで、生徒の質問は授業内容ではなく、「試験はどの問題集のどこから出しますか?」というものでした。高校3年ですから基礎を使っての応用問題を50点分出題すると、「今までなら1日前に勉強したら十分8割は取れたのに、このような試験だと問題集を勉強する意味がない」と、生徒が怒ってくるような状況でした。選抜特進コースの生徒の模試の成績も厳しいものでした。しかし、塾をはじめ、周囲の学校も選抜特進コースの生徒が初めて卒業するので、大学受験成績がどうなるか興味津々で見ています。うまくいけば好循環のスパイラルに入りますが、悪いと期待感で受験してもらっていた状況が一変し、雲雀丘学園は低迷してしまう大変な時期でした。模試の結果を整理するのですが、多くの生徒が偏差値50を割り、さらに志望校の判定はEのオンパレードで、気が滅入りそうだった記憶があります。
 一方、教員の意識も「難関大学の受験指導はできない」、「学校行事よりも勉強を重視する自己中な生徒しか超難関大学に合格しない」、「幼稚園、小学校を併設している中学・高等学校は難関大学を多数合格するような学校にはなれないのが常識だ」などの考えもありました。一部の生徒や先生だったかもわかりませんが、意識改革も必要でした。生徒たちの性格は非常に良く、先生方もまじめな方ばかりだったので、教師は授業内容の改善を生徒は真摯に日々の授業を大切にしていけば必ず成績が上がる。本校が選抜特進コースをつくって成功し始めたと認めてもらうためには、国公立大学の合格者数を増やすこと、そして、国公立大医学科や東京大学の合格者が出れば、自ずと学内の意識改革もできるので、

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まずは自分の授業で生徒に真剣に学ぶ姿勢を教えていくことから始めようと考えました。そして、模試のデータをもとにまずは、今後5年間の国公立大学合格者数の目標を設定し、学校長に提出しました。右図がそのときに作成した目論見表です。

<カリキュラムの改革>
 着任して2か月がたったある日、中尾校長先生から、学校の中心となる先生方の集まる会議で、この学校に来て気になることを正直に話すように言われました。そこで、「進学成績を上げたいといわれているが、何を目指しておられますか?と先生方に伺うと『東大や京大、医学科を出す』と言われる方や、『関関同立100以上』とか、『すべての生徒を指定校も使ってどこかの大学に入れる』など、皆さん目指しているところが違うが、本当はどれなのですか」と尋ねました。帰ってきた答えは、東大、京大、阪大、神大や難関私立大を目指すだったのですが、“関関同立”はすべて付属中学や高校を設置したので、雲雀丘で学んで、成績上位の生徒しか“関関同立”に合格しないのならば、将来雲雀丘学園は危うくなるのは、火を見るよりも明らかでした。
また、学校案内には『難関大学合格を目指す効果的なカリキュラム』と書かれていましたが、文系の生徒のカリキュラムでは東京大学の二次試験の地歴で2科目に対応できておらず、理系の生徒では京都大学の工学部のセンター試験の社会科の科目に対応していなかったのです。塾に行かなくても東大、京大に対応できるカリキュラムに変える必要がありました。
 そして、国公立大学の合格者数を増やすことが学校の指導力向上のバロメーターでもあるので、センター試験で5教科7科目を受験する生徒をふやすこと、しっかりしたセンター試験対策とその後の後期試験直前まで二次対策講義を行うことが重要でしたので、その時間割を学年の先生と一緒に作りました。学年主任を筆頭に、学年の先生方が骨身を惜しまずに講習や丁寧な進路指導をしていただいた結果、従来の国公立の合格者数を倍増させることができました。これが、大きな転機となり、各学年が前年を超えようと生徒も先生も努力されたのです。でも、宿題を一杯出して、勉強で追い立てるようなことをしたかというと、そうではありません。各授業の内容を吟味し、教員自身がセンター試験を良く分析し、生徒の興味関心を引き出しながら、互いに学びに真摯に向き合う雰囲気ができたこと、学ぶ教科・科目を減らすのではなく、5教科7科目すべてを投げ出さないで学ぶように先生方が生徒を励まし、生徒も先生の熱意にこたえようとした相乗効果で伸びたのです。
 改革は、まず、難関国公立大学を目指す選抜特進コースを作ったこと。そして、次に東京大学や京都大学に学校の授業を受けるだけで対応できるカリキュラムに変えたことが挙げられます。

<全員センター試験受験>
 次に行ったのは、私立大学を受験する生徒も、私立大学の指定校推薦で12月には合格した生徒も、全員センター試験を受験するようにしたことです。これには、生徒や保護者、そして教員の中でも反対という方がいて、「すでに指定校推薦や公募制推薦で合格している生徒に、受けさせるのは意味がない」とか「財産権の侵害だ」などと言われました。しかし、大学は学びに行くところであり、高等学校の基礎学力の上に大学の学びが加わるのであり、また、推薦で入学する大学では、同級生の多くがセンター試験や二次試験を受験し、合格レベルに達した生徒であり、彼らと肩を並べて学んでいくわけです。したがって、当然、推薦で合格した生徒であっても、センター試験でそのレベルぐらいには達しないと、大学で留年し、ドロップアウトしかねないので、無意味なことはないはずです。無意味という人たちは、センター試験を大学に合格するだけの手段と考えているからです。大学という最高学府に学びに行こうとする生徒に当然身につけさせておきたい学力をみる試験であり、推薦で合格したらそれで基礎的な学びを終えるのではなく、少なくとも1月中旬までは大学で学ぶに足る学力を身に着けるべく勉強しておいてほしい、学びからの逃避をさせないでおきたいと考えました。さらに、推薦で合格した生徒も全員センター試験を受験させると私立大学の入試担当者に伝えると、大変喜ばれ、指定校推薦枠も増えたのです。
 そこで、指定校推薦した生徒には、合格してもセンター試験を必ず受験するようにと念を押し、万一体調不良になっても追試受験手続をとるようにと伝えたのですが、一部のクラスでは、数名ずつが受験していませんでした。翌日、自己採点の時に受験の有無を調べ、後日、指定校推薦をした生徒でセンター試験未受験の生徒を、保護者、担任同伴で呼び、学校長のおられる前で厳しく注意し、約束を守れないのだから辞退届を出すとまで言いました。生徒 と保護者だけでなく担任も驚いたと思います。「もうそのような勉強はしていない。一般入試受験など全く無理です」との返事からもわかりました。指定校推薦のための定期考査の勉強が終わった後は、ほとんど勉強していないのです。結果的には、学校長から今後4年間大学でしっかり学ぶようにと注意を受けて、辞退届は出さないことにしましたが、翌年からは全員センター試験受験が定着しました。今思い出しても、もっとも大変だったのは
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、全員センター試験を受験させると決め、それを実施したことでした。これも、中尾校長先生の後押しがあればこそ実現できたことで、こうして国公立大学の合格者数が増加し、三桁を狙えるようになっていったのです。それと並行して、“関関同立”など難関私立大学の現役合格者数も増加していきました。
 指定校推薦の生徒で、センター試験受験を大反対しながらも受験した生徒のうちの一人が4年後学校に来て、「先生、あの時は大反対したが、センター試験を受けていてよかったと思います。公務員試験はセンター試験レベルなので役立ちました。ぜひ後輩たちに、そのことを伝えてください」と言ってくれたのです。大学に合格さえすればよいというのではなく、大学で学び続け、社会に出てもしっかりした社会人になるべくその土台となる心構えや脳力をつけてあげるのが、真の進学校の教員の仕事だとの信念は間違っていなかったと思えた瞬間でした。

(2019.9.13)

2019年09月11日

往復書簡⑫「何とかすることで革新ができる」

~雲雀丘学園常務理事・学園長 岡村美孝~

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大森先生へ
「生徒の心に火をつける」で真っ先に思うのは学園中高初代校長の板倉操平先生です。先生は「生徒はだれしも心にいっぱいの燃え盛るエネルギーを秘めている。それに火をともすのが先生の使命だ」と叫ばれました。私もその通りだと思います。子供たちは十人十色、誰もまねのできない個性を持っておりそれを引き出すのが先生の役割だと思います。雲雀丘学園はみんな違ってみんないい、そんな学園でありたいと思います。

さてご質問の私事ですが、40年余りサントリーに在籍しましたのでいろいろなことを学ばせていただきました。今日あるのは本当にサントリーのおかげです。思い出すのは楽しい時より苦しかった時の方が多いです。しかし今はそれも懐かしい思い出であり現在の私を作っていると思います。みんなサントリーのおかげです。

さて、今でこそプレミアムモルツはよく売れるようになりましたが私が広域営業本部長になった2005年はまだまだこれからという頃でした。広域営業本部というのは家庭用マーケットの統括です。スーパーやコンビニ、その他ディスカウントストアなどの量販店を担当します。佐治会長(当時は社長)の強烈なリーダーシップのもとビールではプレミアムモルツに集中して営業活動を展開していました。

役員会議では佐治会長が次々と営業幹部に鋭く質問されます。私はコンビニ業態を担当していましたがこの業態が一番苦戦していました。飲食業態やスーパー、量販店は売り上げがどんどん伸びているのにコンビニはなかなか成果が出てきません。私は毎回の役員会議で社長から連続砲火を浴び、針のむしろに座っているようでした。コンビニというのは店頭での営業活動が極めて難しい業態なのです。まず定価販売のみ、店頭での販売促進は認められない、個々の商品の週販(1週間に売れる本数)によってのみプレースメントが決まるなど、これから伸ばそうとする商品にとっては極めて難しいのがコンビニ業態でした。

しかし佐治会長にはこんな理由が通じるわけはありません。そんなことは会長ご自身が百も承知、それでもなお毎月毎月、しつこくしつこく成績不振をついてこられました。「そこを何とかするのが責任者の仕事やろ!」。

今、コンビニの店頭では当たり前のようにメーカー各社の販促活動はどんどん行われています。これはあの時の「何とかしろ!」でコンビニエンス業態の店頭のルールを一つずつ突破し厚い壁を乗り越えていった成果だと思います。それは缶ビールの缶の上に小さなおつまみをつけることから始まったのです。

しつこさは言葉を換えれば執念。プレミアムモルツの味は絶対だと早くから確信しておられたのが佐治会長でした。長い間売れませんでしたがその時も何としても自分が成功させる,させねばという宿命を感じておられました。自分よりも「親父」、学園の2代目理事長佐治敬三の夢の実現でした。

「こうと決めたら何としてもやり通すのだ」「無理を通すことで革新ができる」ことを教えて頂いた気がします。

大森先生には最後に、学園に来られてどのようにして改革に関わられたかをお聞きしたいと思います。ただ改革を進めるにあたってはいろいろな立場や考えがあって、みんながよくしようと思っている中で一つの方向を選択せねばならない。それを後で振り返り論評することは難しく、自ら進んで書きたくはないと思います。
しかし中尾校長が来られて影浦校長が引き継がれた改革に大森先生が一定の役割を果たされたのは事実、それを書き記しておくことはこれからも学園改革が続く雲雀丘学園にとって必要なことだと思います。

(2019.9.11)

2019年09月09日

往復書簡⑪「心に火をつけてくれた先生と言われたい」大森先生からの手紙

~雲雀丘学園常務理事・学園長 岡村美孝~

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お手紙ありがとうございました。「陰徳」という言葉を聞くと、なにか古いイメージを覚えますがサントリーという現代を代表する会社でも、「陰徳」の思想が、日ごろの企業活動の中で生きていることに驚きを感じました。

 お手紙のなかで生徒指導の秘訣を知りたいとのことでした。しかし特に秘訣のようなものがあるわけではありません。
 生徒一人ひとり性格も体格も、そして能力も異なるが、根本的には、生徒のよいところや強みを見つけ出して伸ばしてあげることに注力するだけです。生徒誰しも悪いままでよいとは思っていません。少しでも良くなりたいと思っているのです。それなのに、その時の学習成績や理解力の低さなど一面だけで生徒の能力を判断してしまい、悪いところばかりに目が行ってしまいます。中学一年時で定期考査が最下位近い成績をとっていたが、英語のリスニングが強いことをきっかけに伸びていき、6年後東京大学に現役合格した生徒, 高校2年生で留年していた生徒が長崎大学の水産学部に入り、北海道大学の大学院に合格しながら長崎大学の大学院水産学科に進学、そして薬学部の博士課程に進み現在教授となっている生徒, 高校3年の6月の模試の成績が偏差値40程度だったが、好きな魚の研究で広島大学生物生産の推薦入試に合格後、東京大学の大学院に進学した生徒, 彼らを見ていると、今は勉強できなくても心に火がつけば凄い力を発揮することを痛感します。教育を行うものは、知識を与えるとか、問題が解けるようにする以上に、生徒の心に火をつけるべく努力する仕事ではないかと思っています。すべての生徒に対応できるわけではありません。教員は自分の得意な分野を持ち、その分野に興味を抱いた生徒の心に火をつけていく。教員集団が多様であればあるほど、多くの生徒を伸ばしていけるのではないかと思っています。
 しかし、心に火をつけても、長続きしないで、消えてしまう場合もあるでしょう。小さな火でもついた生徒に対して、それをさらに燃え盛るようにするには何ができるようになればよいかを考え、実行していきます。例えば、集中力がすぐに切れる、文章を読まない、論理的に物事を考えることはできない生徒に対しては、好きな分野の本を一緒に読んで勉強する会を日を決めて始めたり、計算の弱い生徒には一緒になって計算問題をすることもしました。また、生徒の好きな分野を自分も少しは勉強し、生徒から教えてもらいながら疑問をぶつけ、生徒の興味関心を深化させていくこともしました。いずれも、最初は時間がかかります。しかし、車と同じで、最初はゆっくりとしか動きませんが、動き始めるともう教師が指示しなくても、どんどん進んでいくのです。
 ですから、秘訣はありませんが、心構えは、どんな生徒でも伸びると信じること。教員があきらめない。それだけなのです。そして、そのようにして成長していってくれた生徒たちが、今度は私が指導に困っている生徒たちに話してくれて、後輩の心に火をつけてくれている。教え子を通じて、生きる喜び、学ぶ喜びの火が燃え広がって行っているので嬉しくなっています。
 好きな言葉の一つは、「夢ある人に目標あり、目標ある人に計画あり、計画ある人に実行あり、実行ある人に成果あり、成果ある人にロマンあり、ロマンある人に夢がある」です。一人でも多くの生徒に「心に火をつけてくれた先生」と言われたらいいなという夢を持って、与えられた時間を過ごしていきたいと思っています。

岡村常務理事はサントリーの営業本部長として常に経営トップに接してこられたと思います。トップとの思い出、我々が特に興味のある営業第一線でのやりとりがありましたら披露していただけませんか。

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2019年09月02日

往復書簡⑩「陰徳」大森先生へ

~雲雀丘学園常務理事・学園長 岡村美孝~

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M先生のお話、大変心を動かされました。そして大森先生ご自身も二次試験の当日はひそかに掃除をすることを退職の年、つまり今年の春まで続けられたのですね。頭が下がります。

こんなエピソードがあります。学園創立者、鳥井信治郎が3歳か4歳のころ母親こまに連れられて大阪の天神さんにお参りに行きます。社前の橋の上には大勢のものもらいが居て、喜捨を乞うています。彼らはお金をもらうと大げさに面白くお礼の仕草をするのです。お金をこまにねだった信治郎は、ものもらいの一人にお金を渡しこまのもとに戻ろうしたとき、後ろを振り返りました。その時こまは信治郎の手を荒々しく引いて決して振り返ることを許しませんでした。

こまのこの態度には、人に施しをする者は感謝を期待してはならないという厳粛な教訓があったのです。サントリーではこれを「陰徳」と呼んでいました。サントリーではいろいろな社会貢献事業や、災害時の寄付などを行っていますがこの精神は貫かれていたように思います。

さて往復書簡⑦で私が「運を招くすべはいろいろある。」と書いたところ、どんなすべがありますか、という問い合わせがありました。それは「嘘はつかない、正直な毎日」がまず筆頭に挙げられます。あとは「人に親切、手助けをする」「利他、自責の念」。大森先生も言われていた「人を羨まない、妬まない、恨まない」もあるでしょう。雲雀が一生懸命取り組んでいる「あいさつ、笑顔」。「親孝行、感謝の気持ち」も大切です。結局、このような心、気持ちが積み重なって波動となって運を引き寄せるのだと私は考えています。

月が替わって9月となり、この往復書簡もいよいよ終盤を迎えました。大森先生と言えばできなかった生徒を見事難関大学に進学させたということで有名です。このブログは先生方もお読みと思いますのでぜひその秘訣をお聞かせ願えればと思います。

なおこのブログは9月2日に書いていますが、今日、サントリーイントラネットのトップに「SUNTORY 佐治会長のホームページ」として雲雀丘学園のことが掲載されています。このイントラネットはサントリー約4万の従業員(海外含む)が注目していますがその中で佐治会長は、雲雀丘学園には今もなお脈々と信治郎の志が生き続けていると語られています。まことに有り難いことであり改めて責任を痛感しています。

(2019.9.2)