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往復書簡⑥「『天に生かされたと思った瞬間』大森先生からの返信」

~雲雀丘学園常務理事・学園長 岡村美孝~

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岡村常務理事へ
お手紙拝見しました。
営業の最前線で戦うということがどんなものか、ほんの一端でしょうが改めて知らされました。まさに企業戦士、日々、食うか食われるかの戦いをされたのだと思います。確かにビール4社のシェア推移をみると、キリンとアサヒ、サントリーとサッポロは見事な逆相関を示しておりそのことを如実に示していると言えます。

さてご質問の「富士山の話」です。話せば長くなりますし、個人的な話で読まれる方のお役に立つかどうかはわかりません。しかし常務理事からのご要望ということに甘えて書かせていただきます。


私は、大学院2回生の時、「生かされている。」と思う出来事がありました。その時から、天が私に何か他人のために役に立つことをするようにとのメッセージなのだろうと思うようになりました。もし、私が不要になったら、その時は、偶然の交通事故か病気、または、ありえないような、例えば隕石が当たるかして、死ぬだろう。だから、今からは、できる限りのことをして、過労になっても、天が私を生かして何かをさせようと思ってくれているうちは、死なないだろうと思うようになりました。
 その大学院生時代の体験とは、若気の至りなのですが、大学院の研究の件で教授に嫌われてしまいました。教授は私の大学院時代、ご病気で2年間ほど入院されていて、教授から指示された研究をしている中で見つけた現象が、すでに発表されていたことと異なっていたので、それを調べたいと言った時、不要と言われました。しかし、教授が不在でしたので勝手に様々な方法で調べ、発表されていたことが誤りであることを見つけたのですが、そんな勝手な私を教授は快く思われなかったのも当然です。院生が終われば研究室を出ていくようにと言われました。私はその教授を心から尊敬していましたし、研究するのも好きだったのですが、何か、すべてを失った喪失感と人間不信のような気持になり、今まで研究と称して奪った多くの生物の命、今まで研究に費やしてきた日々がすべて無意味なように思え、絶望し、生きる気力さえなくなっていました。
 その時、バカな考えなのですが、大学の名誉教授という大学では最高峰の位置にある人に、何の力もない私が勝手に挑戦したようなもので、それは日本で一番高い富士山に登山経験もないものが挑むのと同じだと思ったのです。翌日、研究室と下宿をきれいに片づけ、夜行列車で御殿場まで行き、登山バスで富士山の5合目まで行き、そこから頂上まで登って、生きて帰ってきたら先生に謝ろうと自分勝手な価値観で決意しました。
 ところが、10月は登山バスもなく、最後はタクシーで5合目まで送ってもらいました。所持金2万円、5合目までの片道だけで1万円でした。5合目まで着くと、13時に迎えに来てもらう約束でもう1万円はらい、恥ずかしながら、登山道を通らずに無茶な登り方をしました。7合目くらいになると、自分の上ってきた御殿場登山口が雲で見えなくなりました。それでもずんずんと登って行ったのですが、あと頂上まで100m程度まで来た時、アイスバーンで全く上に進まなくなりました。登ってもズルズル滑り落ちるのです。何度挑戦してもダメでした。登れなければ、ここで死ぬまででしたが、ふと横を見ると、だれかがアイゼンとピッケルで登った足跡があるのです。その上を踏むと登れるのです。人の足跡を踏みしめながら頂上まで登っていくうちに、涙が出てきました。自分で何でもできると思っていたが、他の人の力を借りないと、頂上にたどり着くことはできなかったことに気づいたのです。自分はなんと愚かだったのか、大学に帰って先生に謝ろうと‥‥。
 しかし、頂上に着いたのは良いが、タクシーが来てくれる御殿場登山口がどこかさっぱりわかりません。あたりを懸命に探しましたが、標識が見当たりません。タクシーとの約束の時間は刻々と迫っていました。もうダメかと思った時、偶然にも、向こうの方から一人の登山者が上がってくるのが見えたのです。駆け寄って声をかけると、スイス人の登山家でした。つたない英語で、御殿場の登山口を訪ねると、その方は手を引いて標識まで連れて行ってくれました。下を見ると何重にもジグザグになった登山道が見えましたが、それを悠長に下っている時間はありません。絶対してはだめなのですが、見える限界の登山道に向かって一直線に下りていきました。しかし、約束していた時間より30分ほど遅れ、タクシーの姿はそこにはありません。電話もなければ、売店も閉まっている。歩くこともままならない状態になっていましたので、これで万事休すだと観念しました。タクシーの運転手は僕がいないので帰ってしまったのか、それともネコババされたのかなど、人を疑ったりもしました。体は冷え、足は腫れあがり、呼吸も困難になってきたとき、突如下から1台のタクシーが上がって来たのです。約束していたタクシーだったのです。幸いにも、その運転手は私との約束を忘れ、昼食をとった後に手帳を見て、1時間ほど遅れてきてくれたのです。
 あのスイスの登山客と会っていなければ、そしてタクシーの運転手が私との約束を忘れて1時間遅れていなければ、私は生きていなかったのではないかと思います。偶然かもしれませんが、天に生かされたと思った瞬間でした。
 その時から、この命、天命に従って使おうと決意し、教授に謝り、大学院卒業後、大学を去り、まずは独立して生活できるように、その時たまたま募集があった私立学校に応募したところ採用され教員となった次第です。
 岡村常務理事は、サントリーという超優良企業にどのような経緯で入社されたのですか?関東地区の営業本部長というようなトップにつかれるということは、ご自身のご努力はもちろんだと思いますが、いろいろな方とのご縁や幸運、つまり、天に生かされているなって思われるようなご体験がおありだったのではないかと思います。よろしければ教えていただけませんか?

(2019.8.22)

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