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往復書簡⑨「徳を積む人でありたい」大森先生のお手紙の続き

~雲雀丘学園常務理事・学園長 岡村美孝~

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大森先生へ
朝晩は少し涼しくなったかなと思ったら天候不順で今朝(8/28)は北九州地方で豪雨のようです。
小学校は夏休みが明け、元気な声が学園内に戻ってきました。夏休みの間、小学校の校舎が改装され、児童は新しい教室で気持ちを新たに勉強に励みます。子供たちの声は本当にいいものです。夏休みに家族で楽しく過ごした思い出などを聞くとこちらも喜びをおすそ分けしてもらった気持になります。

一方昨日は大森先生もご存知の「中期経営計画会議」が開催されました。これは学園幹部が集まって学園の現況を把握分析し、中期の方針を策定しようとするものです。丸1日かけて議論を戦わせます。今回は特に幼稚園と小学校の連携強化について話し合いました。

さてお手紙ありがとうございました。興味深く拝見しました。ところでタワーの最上段に立たれているのが大森先生ですね。なかなかの勇姿というか見事なものです。御髪も健在で学園事務局の職員は誰も大森先生とは信じられないようでした。

前置きはこれくらいにして「お手紙の続き」を掲載します。大森先生からは適当に短くしてくださいとのことでしたが原文のままにします。


<人事を尽くして天命を待つ。数字を追わない。数字がおのずからついてくる生き方を>
前回の続きで、進路指導をするときの私の精神の指針になっている事は、姉妹校で高校3年生を担任した時の大先輩(M先生)の姿です。
 M先生は、私がまだ26歳の時、すでに60歳を超えておられる国語の先生で、私の隣のクラス、つまり高校3年1組(中高一貫のクラス)の担任をされておられました。私はその先生のクラスに少しでも負けないようにと、ある意味ライバル意識を燃やしていました。早稲田大学の合格発表があったとき、3年1組に大差をつけられ、悔しい思いをしているとき、「よく頑張ったのに残念だったね。でも慶応大学は良かったし、これから国公立大学だから後期まで頑張っていきましよう」と言われましたが、私は妬みがあって、素直にその励ましの言葉を受け取っていませんでした。共通一次試験が終わり、いよいよ二次試験の当日になりました。共通一次試験の時は全員同じ会場でしたので教員も応援に行ったのですが、二次試験の日は受験校がみな違うため、我々担任は授業がないので、後期試験の準備をするか、卒業式の準備をするぐらいで、生徒の健闘を祈りながら職員室の自席で時間を過ごす程度でした。
 しかし、朝礼が終わってしばらくすると、隣の席のM先生がいらっしゃらないのです。30分近くたっても帰ってこられないので、不思議に思って教室を見に行くと、M先生は3年1組の教室で、清掃をされていました。丈夫な木でつくられた机と椅子がくっついたとても重い机を小柄な老人先生が1つ1つもちあげては教室の一方に運び、綺麗に床掃除した後は、机をもとに戻し、机上を雑巾がけしながら、何かぶつぶつと言っておられるのです。私は手伝おうとはせず、何を言っておられるのか聞き耳を立てていました。それは、そこに座っている生徒一人一人に励ましの言葉だったのです。『1組の生徒と先生のすこぶる良く、そして生徒の頑張りはこのような隠れた祈りの気持ちからだったのか』と思い、先生も生徒も良いからこのようなことができるのだろうと、より一層ねたむ気持ちになっていました。そんなことを思いながら陰に隠れて見ていると、M先生はなんと、私のクラスの教室に入られたのです。そして、1組でされたのと同じように机を送り、床掃除して、机上を雑巾がけしながら「A君、頑張れよ。大森先生が君に注意されたことを思い出し、落ち着いてしっかり問題文を読むんだよ」。一人一人の机に祈りの声をかけられたのです。わたくしは恥ずかしながら、陰に隠れてじっとその様子を見ることしかできませんでした。M先生に負けたくないとか、勝ち誇りたいとか思っていた自分が恥ずかしくなり、その時からです。M先生とともに頑張ろうと思ったのは…。自分のクラスの生徒はもちろんですが、M先生のクラスの生徒の成功を心から祝福できるようになりました。受験結果も素晴らしいものでしたが、勝った、負けたではないのです。妬みや嫉みからは決して成長はできないし、幸運もめぐってきません。M先生のように徳を積む人でありたい。結果を追い求めるのではなく、結果がついてくる人になるような生き方をしよう。生徒に安心感と凛とした雰囲気を与えられる、温かみのあるM先生のような教師こそが本当の進学校の教員なのだと教えられました。それからは、高校3年の授業を担当したり、進路指導部長となっても、数字を追い求めるのではなく、生徒一人ひとりが最後に喜ぶようにする、誰も見ていないところで自分の出来ることを精一杯しようと心がけました。二次試験当日、ひそかに掃除をするということは、ゲン担ぎではなく、常に初心を忘れないために退職の年まで行っていました。
 生徒の学力は驚くほど伸びるのです。中高一貫の生徒の学年主任をした時のことですが、中学1年生時全教科とも成績が最下位近かったが基礎英語のリスニングだけは良かった生徒が理系に行きたいと言った時、その当時英語でリスニングを入れているのは東京大学だけだったので、「君は、神戸や大阪大学ではなく、理系でリスニングがある東京大学が向いているのでは・・・。」といった一言で、彼はそれを信じ、模試ではほとんどE判定だったにもかかわらず、東京大学理Ⅰを受験し、見事現役合格を果たしました。教育に処方箋や薬はありません。言葉一つで生徒の能力を伸ばすことも殺すもあることを教えられたのです。これ以降、私は生徒の進学指導で無理とは絶対に言わなくなりました。「無理」と言うのは、生徒の進路指導を放棄したといっていることなのですから…。中江藤樹という超優れた学者が、記憶力も集中力もほとんどない大野了佐を見捨てることなく教え続け、一人前にされたことから考えると、まだまだ無知な自分が、隠れた能力を持っている生徒の一面しか見ないで「無理」なんて、傲慢なことは言えないと教わったのです。


 岡村常務理事は上司に鍛えられたと思われたことはございますか?企業は教育現場と違ってもっと厳しいものとは思いますが、どのようなことがおありでしたか?また、営業本部長として部下を育てられたことで、何か思い出に残るようなことはおありだと思います。よければ、ご紹介いただけませんか?老齢になり、若い人を育てる立場になってきましたので、参考にさせていただきたく思います。

(2019.8.28)

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