学園ブログ

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常務理事便り

2023年07月07日

Vol 18 ChatGPT論争

~雲雀丘学園常務理事 成地 勉~

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 チャットGPTについての議論がかまびすしくなっています。文科省は活用のガイドラインを同省にしては異例のスピードで作成しました。このことは教育界の大慌てぶりや危機感を示しています。論文や作文や俳句や短歌、読書感想文などをこれに任せれば当事者が無思考のうちに、一瞬で作り上げてしまうからです。しかも中の上位以上の出来栄えで。
 ビジネスの世界では著作権の問題や偽情報の記載等が問題視され活用に関して様々な議論が行われていますが、効率化の観点から導入が進み始めています。社会において導入が進みつつあることから、教育界においても活用について、やや前のめりになっているように思えてなりません。本当にそれで良いのでしょうか。
 チャットGPTなど生成AIの活用の本質は効率化のはずです。平易な事務文書はこれで作成する、論点整理や論点拡大に活用する等、効率的に業務を推進し、生産性を向上させるということが軸でなければなりません。しかし、教育における問題の本質はこれら生成AIを使うことが学びにおいて最も大切な「思考する」こと、「調べる」こと、「想像する」ことさえも子どもたちから奪い取ってしまう可能性があるということです。人類の発明は絶えず利便性、効率性、快適性等のレールに乗って進んできました。鉄器然り、蒸気機関然り、コンピューター然りです。多くのものを得ましたが、多くのものを失いました。農薬を使い効率的に農産物を大量につくられるようになった裏には、大量の微生物や虫の絶滅、森林の破壊、温暖化への影響等、多くの犠牲があります。このような文明論的な話でなくても身近で感じることはたくさんあります。例えば、我々はペンや鉛筆をPCに変えたことで漢字や熟語をどれだけ書けなくなってしまったことでしょう。更に、日々どんどんと忘れてしまっている漢字が多いことでしょうか。こうしたことと比較できないくらいの脅威が子どもたちを襲いつつあります。日々思考するという学びの地道な営みを一挙に押し流し、無思考のうちに成果物が出来上がるという事態が起きようとしています。
 特に小学校という人としての基盤を育成する時代においては、興味あることについて探る、想像する、自分で考えてみるなどの思考する作業は絶対的に身につけなければなりません。この人づくりの基礎となる部分が強固か脆弱かで人としての逞しさや強さは大きく変わってしまいます。脆弱な基礎には脆弱な小屋しか建てられないのです。便利だからということでAIに頼ってしまう人間は、結局、AIに支配されているのと同然です。
 教育分野、特に初等教育分野における生成AIの導入は慎重なうえにも慎重を期すべきかと思います。教師が教材のチェックとして使う分にはいいとしても、小学校の子どもたちを対象とした導入はしない、というくらいの決断が必要ではないかと思っています。